TRENDIA CLASSIC

つまり詩は亡びる

山之口貘

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かつて、アンドレ・ジイドのソヴィエットへの関心を知るや否や、それを以て直ちに、赤化したアンドレ・ジイドと見なしたかのような観方をした人々が、日本の国にあったと記憶する。

彼等は、ジイドのソヴィエット旅行に就て、いよいよジイドが、ソヴィエットから土産として持って帰るものは、赤色ジイドに違いないと想像位はしていたかも知れないのであるが、さて、ジイドの帰りを迎えて見れば、振ら下げて来たものは、相変らず彼の批判や感想やらにまつわりついているソヴィエットからの痛烈な非難であった。

いま、再び世間は、旅行帰りのジイドに就て、色々の検討をなし騒ぎ立てているのにもかかわらず、その声達のなかには、どうしたことか、かつてジイドを赤化したのであるかのように見なしていた彼等の声がきこえないのだ。いま、彼等はどこにいてどのようにジイドを観ていることか。

それを僕が知りたいわけは、かような機会に於てこそ、外国人の所謂、「日本的観方」という日本の姿を見なおして見たいそのためにだ。

これもまた、ジイドの赤化云々が伝えられたその頃のことだった。或る新聞で、或る日本人のジイド訪問記を読んだのであるが、その日本人が、ひとりのフランス人氏同伴でジイドを訪ねての帰途に、ジイドも先ずあの莫大な財産を清算しなくてはなるまい、というような意味のことを言ったことに対し、フランス人氏は立ち所に、それは日本的考え方だよ、とか言ったという。

僕は、そのフランス人氏の言葉の指ざしているこの日本に、ひとつの思想的傾向を帯びるや否やあの莫大な財産を清算したかつての有島武郎氏を思い出した。

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