TRENDIA CLASSIC

私の青年時代

山之口貘

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人間は、生れてしばらくの間を赤ん坊と言われ、そのうちに幼年、少年、青年、壮年、老年という順を経て、墓場に永住することになるわけである。このなかで人間にとって一番の人気ある年代は青年時代のようで、青春と呼ばれているのがその時代なのである。幼年や少年にとっては、憧れの的であり、壮年や老年にとっては、またとかえるすべのない思い出なつかしい時代として、どの世代の人間からも、愛され拍手を浴びているのが青春時代なのではなかろうか。その意味では、青春をどのようにして生きて来たか、あるいは生きているか、または生きたいかということが、おそらくだれもの関心事であることに違いないのである。

さて、世間並には、ぼくにも青春というのがあるにはあった。あるにはあったと言うことは、よき青春であったかどうか、またよき青春とはどんなものかについては自信をもって語ることが出来そうもないからなのである。

ぼくの生地は、沖縄である。沖縄と言えばなにも威張って言うのではないが、太平洋戦争とか言われているところの甚だみっともない戦争のために、かつて世界の史上になかったと言われるほどの犠牲を払った島として、一躍世界にその名を知られ、現在は米国の極東基地として、異民族の支配下にある一部の日本なのである。つまり沖縄県なのだ。ぼくはその沖縄県の那覇市の生れで、那覇市は戦前の県庁所在地、現在は米国民政府と琉球政府と、日本政府の出先役所である那覇日本政府南方連絡事務所との所在地なのである。ぼくは明治三十六年の九月にその町に生れた那覇人で、沖縄流の発音でナフヮンチュである。つまり、ナフヮが那覇で、チュは人のことである。ついでに、本名は山口重三郎であって、幼名をサンルーと呼ばれていたが、つまり三郎のことなのである。

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