ダルマ船日記
本文約7,800字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
鉄屑を運搬するダルマ船・水神丸の船頭である六さんと、居候する詩人の生活を描く。深川で積み荷を終えた彼らは、曳船に引かれて鶴見の製鉄会社へ向かう。船上での不自由な排泄や、橋への衝突といった航行の困難、街へ繰り出す六さんの姿などを通じて、水上の閉鎖的かつ独特な日常が綴られる。鉄錆に覆われた風景の中で、船頭の日常に馴染もうとする詩人の眼差しと、船上の生活の機微を淡々と記録した随筆である。
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眼を覚ましてみると、側に寝ていた筈の六さんの姿は見えなかった。
居候のくせに、なぜこうも寝坊するのであろうか。
桝のような船室から首を出して、甲板を見廻わすと、既に、七輪の薬罐が湯気を吹きあげていた。
この船の名は、水神丸。積載量百トン。型は、通称ダルマと言っている。年齢は、三十五歳。生れは深川。
まるで、老人みたいな風貌だ。無数の皺の合間合間には、鉄錆びが汚みついている。艫には船室があって、三畳敷位。そこに船頭さんと僕とが一緒に暮らしている。その他、押入が一間と、それに向い合って神棚があり、押入の下には、古道具屋のように炊事道具など一杯詰まっている。それから、片方の壁には蝶ネクタイと背広の上下を掛けてある。それは僕のではなく六さんの外着である。六さんとは、即ち、このダルマ水神丸の船頭さんなのである。
どこにいても、僕にとって一番の不便は、先ず、放尿の場合である。折角、出かかっている小便でも、身辺に人の跫音がきこえると、直ぐに中途で引っ込んでしまう。だから街を歩いている時など、僕は他人のようにあっさりとは立ち小便の出来ない質である。これだけは、動物みたいな僕にも似合わず殊勝なことだと思えば思えるのである。とは言え、そのことの不便は、乗船以来一日も欠かさず僕を苦しめているのだ。堪え切れなくなると、陸に這い上り、人の気配を避けた横丁を物色して僕は用を足さねばならないのだ。
なおさら、困まるのは糞の始末である。その始末方法に就ては、六さんが彼の実地を以て、或る夜、説明付で僕に教えるのだった。こんな風にするんだと言いながら、彼はまくりあげて船端にしゃがんで見せた。そうして、片方の手をさしのべて鉤のように舷の内枠にかけ、片方の手は股の間に入れるのだった。その手はなんだと訊くと、船に小便をひっかけてはいかぬから、こうしてあれを川面の方へ押し向けて置くのだと言うのであった。僕は、教えられた通りのポーズをして、暫らくはしゃがんでいたのである。