TRENDIA CLASSIC

旅の繪

堀辰雄

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竹中郁に

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……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やつと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寢てゐる見知らない部屋の中を見まはした。見たこともないやうな大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちよろの鏡臺、じゆくじゆく音を立ててゐるステイム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちやになつて載つてゐる私のふだん吸つたことのないカメリヤの袋(私はそれを何處の停車場で買つたのだか思ひ出せない)、それから枕もとに投げ出されてゐる私の所有物ではないハイネの薄つぺらな詩集、――さう云ふすべてのものが、ゆうべから私の身のまはりで、私にはすこしも構はずに、彼等の習慣どほりに生き續けてゐるやうに見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思ひ出せない變にごたごたした夢も、それまで自分はぐつすり眠つてゐたのだといふ感じを私に與へはしてゐるものの、同時に、まるで他人の眠りを借りてゐたかのやうな氣にも私をさせないことはなかつた。……

私はベツドから起き上ると、窓を開けに行つた。しかしその窓のそとはすぐ高い石圍ひで、石圍ひの向うには曇つた空と、隣りの庭のすつかり葉の落ち切つた裸の枝先きが見えるきりだつた。が、その窓を通して、しつきりなしに汽船のサイレンがはひつてきた。その聞きなれない異樣な叫びは、自分がいま東京から離れてゐる、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせさうにした。さういふ喧騷の中からひよつくり生れてきかかつた一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉ぢた。……

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