この子
本文約6,100字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
裁判官である山口昇の妻である語り手は、夫との不仲や自身の強情さ、世間への不信感から苦しい日々を送っていた。過去には離縁を考えたこともあったが、二人の間に生まれた愛児の存在が夫婦の隔てを解き、夫との関係や自身の心のあり方を見つめ直す契機となる。無垢な我が子の笑顔に教えられ、自らの過ちを悔い、夫や周囲の人々に対する恨みを捨てていく過程と心情の変容を描く。
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口に出して私が我子が可愛いといふ事を申したら、嘸皆樣は大笑ひを遊ばしましやう、それは何方だからとて我子の憎いはありませぬもの、取たてゝ何も斯う自分ばかり美事な寶を持つて居るやうに誇り顏に申すことの可笑しいをお笑ひに成りましやう、だから私は口に出して其樣な仰山らしい事は言ひませぬけれど、心のうちではほんに/\可愛いの憎いのではありませぬ、掌を合せて拜まぬばかり辱ないと思ふて居りまする。
私の此子は言はゞ私の爲の守り神で、此樣な可愛い笑顏をして、無心な遊をして居ますけれど、此無心の笑顏が私に教へて呉れました事の大層なは、殘りなく口には言ひ盡くされませぬ、學校で讀みました書物、教師から言ひ聞かして呉れました樣々の事は、それはたしかに私の身の爲にもなり、事ある毎に思ひ出してはあゝで有つた、斯うで有つたと一々顧みられまするけれど、此子の笑顏のやうに直接に、眼前、かけ出す足を止めたり、狂ふ心を靜めたはありませぬ、此子が何の氣も無く小豆枕をして、兩手を肩のそばへ投出して寢入つて居る時の其顏といふものは、大學者さまが頭の上から大聲で異見をして下さるとは違ふて、心から底から沸き出すほどの涙がこぼれて、いかに強情我まんの私でも、子供なんぞ些とも可愛くはありませんと威張つた事は言はれませんかつた。
昨年の暮押つまつてから産聲をあげて、はじめて此赤い顏を見せて呉れました時、私はまだ其時分宇宙に迷ふやうな心持で居たものですから、今思ふと情ないのではありますけれど、あゝ何故丈夫で生れて呉れたらう、お前さへ亡つて呉れたなら私は肥立次第實家へ歸つて仕舞ふのに、こんな旦那樣のお傍何かに一時も居やしないのに、何故まあ丈夫で生れて呉れたらう、厭だ、厭だ、何うしても此縁につながれて、これからの永世を光りも無い中に暮すのかしら、厭な事の、情ない身と此やうな事を思ふて、人はお目出たうと言ふて呉れても私は少しも嬉しいとは思はず、只々自分の身の次第に詰らなくなるをばかり悲しい事に思ひました。