TRENDIA CLASSIC

髪の毛

佐々木邦

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或朝、井口君は出勤の支度にかゝった時、ズボンが見当らなかったので、白シャツのまゝ、

「おい/\」

と細君を呼んだ。

「はあ」

「ズボン/\」

「あら、私、忘れていました」

と細君の文子さんは次の間からズボンを提げて来て、

「ポケットに穴が明いていましたから、繕って置きましたの」

と弁解しながら差出した。

「然う/\。右の方だったね」

と井口君は、こんなことに一々お礼を言う時期はもう過ぎていた。寧ろ有るべきところになかったのが不足で、叱言が口元まで出ていたが、相当の理由があったから思い止まったのだった。しかし同時に少し考えさせられた。

「何をそんなに考えていなさるの?」

「何うしてお前がズボンの穴を発見したのかと思ってさ」

「オホヽヽヽ」

と細君は勝ち誇った。

「何が可笑しい?」

「でも今頃漸くお気づきになるんですもの」

「それじゃチョク/\やっていたのかい? 道理で時々勘定が合わないと思ったよ」

と井口君は態と誤解して、冗談にしようと努めた。

「あら、私、何ぼ何でも取りはしませんわ。唯中身を検査して見る丈けよ」

「驚いたね。いつからだい?」

「それ御覧なさい。お顔色が変ったじゃありませんか?」

「そんなことがあるものか」

「あなたは初めの三月は些っとも嘘を仰有らなかったわ。けれども四月目からチョク/\私をお瞞しになりましたよ。お友達の家へ寄ったと仰有る時、蟇口や紙入を検めて見ますと、屹度五六円から十円ぐらい耗っていますわ。お附き合いでお酒を飲みにいらっしゃるなら仕方ありませんが、嘘を仰有らなくても宜いでしょう? 私、あなたからそんなに匿し立てをされますと、何ともいえない悲しい心持になりますよ」

と細君も最早いつまでも黙っていない時期に達していたのである。

「しかし昨夜は真実だったろう?」

「えゝ。蟇口の方は一円二十銭耗っていましたが、紙入の方はこの二三日手つかずですわね?」

「随分精確に調べているんだね? 恐れ入ったよ」

「ホヽヽ。これが一番正確なメートルでございますって」

「誰がそんなことを言うんだい?」

「中川さんの奥さんよ」

「ふうむ。それじゃ仕方がない」

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