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TORENDIA

首席と末席

本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

明治期のキリスト教主義学校で学ぶ生徒たちは、卒業後の教員生活を夢見て勉強に励む。十三名という不吉な人数の卒業生を出すことを懸念する校長は、末席の生徒を留年させようと画策し、教室内で騒動が起きる。卒業後、それぞれの道を歩んだかつての学友たちは、数十年を経て再会する。教師として困窮する身の上を打ち明ける者に対し、商館で成功を収めた友人が手を差し伸べる姿を通し、学問と世俗的な幸福の相克を描く。

佐々木邦

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思い出すと隔世の感がある。当時私達の学校の卒業生は中学校の教諭心得として二十五円で売れた。大学卒業生は五十円六十円で、並等は教頭、成績の好いのは直ぐ校長になれた。大学は未だ東京の帝大丈けだったから学士が貴かった。恐らく昨今の博士以上だったろう。私の郷里では従兄が初めて大学を卒業した時、町民有志が旗を立てゝ三里ある停車場まで迎いに出かけた。そればかりでない。町の学務委員の発起で祝賀会が催された。「文学士田中謙一郎君慰労会」といったように覚えている。それくらい学問は苦しいものと思われていた。謙一郎君は町会の慰労に値するほど勉強した所為か、間もなく肺病で殪れてしまった。余談はさて措き、今から四分の一世紀ばかり前のことである。

さもしい話だが、当時私達は二十五円の月給を目標として学問に精進していた。今に二十五円取れると思うと、そこに安心立命があった。理想が低いと言って笑う人があるかも知れないが、私達は大抵月九円で賄っていたのだから、二十五円といえば、その三倍に当る。今日の学生は少くとも月五十円の学資を要する。しかし卒業してその三倍の百五十円取れるか? 二十歳そこ/\の青年に月二十五円は当時決して薄給でなかった。巡査は十二円ぐらいで妻子を養っていたのである。

思えば青年時代は空想を逞しゅうして大きな野心を持つ方が宜い。私達は悟り方が早過ぎた。神田辺の法律書生が未来の総理大臣を夢見ている間に、私達は二十五円の中等教員以外を頭に描けなかった。

「何を食い何を飲まんと思い患う勿れさ」

「人若し全世界を得るともその魂を失わば何の益するところあらんやだよ」

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