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TORENDIA

秋場所から

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

蔵前国技館へ通う文壇屈指の相撲ファンである尾崎士郎が、十数年ぶりに帰国し相撲への熱量を失っている筆者を相撲見物に誘う様子を綴る。筆者は伝統と現代が交差する土俵の空気や力士の真剣勝負に触れ、相撲観戦を通じて相撲の魅力を再発見する。本書は、勝敗を超えた人生の厳しさを土俵に見出し、創作の糧とする尾崎の姿勢や、観戦に誘うことで筆者の心の糧を得させようとする友情、そして日本人の感情を育む場としての相撲の意義を回想する。

平野零児

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🎧 秋場所から / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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仕事に忙しい尾崎士郎君だが、東京場所で、蔵前国技館に、ヤグラ太鼓が鳴り響いている間の、十五日間は、完全に書斎を離れて土俵の脇で過ごさないではいられない人物である。

彼が初めて相撲を見たのは、大正九年で、たまたま相撲史上の名勝負の一つに数えられる栃木山(現春日野)と朝汐(先代の高砂)との一番を見「力の調和というものが、こんなに美しいものであるかを知らなかった」といっている。無論彼は、花相撲はそれまでに、七つ八つのころから見てはいる。

私とは一つ違いの年齢だから、私も幼年のころ門司にいて、梅ヶ谷や常陸山の全盛時代の相撲を見、父から錦絵を買ってもらった記憶があるから、ほぼ同時代に、彼は郷里の三河辺の花相撲を見ているわけである。

私はその後は新聞記者時代に数年間、主として大阪浜寺の学生相撲の記事を書くために土俵に近づいた以外は、元の両国の国技館にも一、二度しか入ったことがない。これに反して尾崎君は、文壇でも屈指の相撲ファンであり、通であり、現に横綱審議会委員であるくらいの相撲を語っては「当代随一」のきわめつきである。

今秋場所の三日目に、尾崎君は、中国から帰って、蔵前の復活した国技館も知らぬ私を「一度くらいは見て置け」と、彼が三十年間取っている桟敷に誘ってくれた。

相撲と野球はきらいではないが、今日のごとく勝負に熱狂する多くのファンのように、心を踊らせることはない私である。クラブなどでボンヤリ人待ちをしている時に、テレビをのぞくくらいの程度である。

祖国を海の彼方に十数年も離れていたせいもあって、顔なじみが薄いためでもある。劇映画の俳優に対しても同様である。菊五郎も六代目はいず、幸四郎も息子にかわっている。美空ひばりと三橋の声は、連日ラジオで聞かされるので、いな応なしに覚えただけである。コマ劇場は先ごろ中国歌舞伎団が[#「中国歌舞伎団が」はママ]きたので初めて行った。

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