TRENDIA CLASSIC

妖氛録

中島敦

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口数の寡い、極く控え目勝ちな女であった。美人には違いないが、動きの少い、木偶の様な美しさは、時に阿呆に近く見えることがある。この女は、自分故に惹起される周囲の様々な出来事に、驚きの眼を瞠っているように見えた。それらが、自分の為に惹起されたのだということに、一向気付かぬようにも思われる。気付きながら少しも気付かぬように装っているのかも知れぬ。気付いたとしても、それに誇を覚えているのか、迷惑を感じているのか、愚かな男共を嘲っているのか、それは誰にも分らぬ。唯、そんな傲りの気配だけは少しも表に現れない。

つくり物のように静かな顔に、時として、不意に、燃えるような華やかさの動き出すことがある。雪白の冷たい石龕の内に急に灯がともされたように、耳朶は見る見る上気して、紅玉色に透り、漆黒の眸子は妖しい潤いに光って来る。内に灯のともっている間だけ、此の女は世の常の女ではなくなる。斯うした時の此の女を見た少数の男だけが、世の常ならぬ愚かさに我をも忘れるものらしい。

陳の大夫御叔の妻夏姫は、鄭の穆公の女に当る。周の定王の元年に父が死に、その後を継いだ兄の子蛮も直ぐに翌年変死した。陳の霊公と夏姫との間は、丁度其の頃から続いているのだから、既にかなり久しいことである。荒淫の君主に強いられて斯う成ったのではない。凡て斯うした事は、夏姫にとって、水が低きに流れるように自然に成るのである。興奮もなく、後悔もなく、唯何時の間にか成って了ったという外はない。夫の御叔は、典型的なお人よしの意気地無しであった。うすうす気付いてはいたらしかったが、さて気が付いた所で、どうなるものでもない。夏姫は、夫に済まなさを感じるでもなく、さりとて、軽蔑を感じるでもない。ただ、以前より一層心優しく夫をもてなすようになった。

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