悟浄出世
本文約18,900字 ・ 読了時間 約38分
あらすじ(AIが作成しました)
流沙河の河底で、自分は何者かという根源的な疑問や不安に苛まれる妖怪・悟浄を描く。なぜ自分は自分なのか、存在の意味とは何かと問い続け、知的で冷笑的な妖怪たちの中で孤立し悩む悟浄は、ある日、天竺へ向かう玄奘法師と出会う。本書は、自己の存在に対する懐疑という病を抱えた妖怪が、真理の探究を捨て、修行の旅を通じて現実と向き合っていく過程を追う物語である。
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寒蝉敗柳に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵は二人の弟子にいざなわれ嶮難を凌ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返りて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河の三字を篆字にて彫付け、表に四行の小楷字あり。
八百流沙界
三千弱水深
鵞毛飄不起
蘆花定底沈
――西遊記――
一
そのころ流沙河の河底に栖んでおった妖怪の総数およそ一万三千、なかで、渠ばかり心弱きはなかった。渠に言わせると、自分は今までに九人の僧侶を啖った罰で、それら九人の骸顱が自分の頸の周囲について離れないのだそうだが、他の妖怪らには誰にもそんな骸顱は見えなかった。「見えない。それはの気の迷いだ」と言うと、渠は信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪らは互いに言合うた。「渠は、僧侶どころか、ろくに人間さえ咋ったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。鮒やざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らは渠に綽名して、独言悟浄と呼んだ。渠が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛まれ、心の中で反芻されるその哀しい自己苛責が、つい独り言となって洩れるがゆえである。遠方から見ると小さな泡が渠の口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼が微かな声で呟いているのである。「俺はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だ」とか。