雨の玉川心中
本文約62,300字 ・ 読了時間 約125分
あらすじ(AIが作成しました)
作家の太宰治と山崎富栄の出会いから、二人の関係が深まっていく日々を山崎の視点で綴る。うどん屋での初対面以来、山崎は作家という特殊な境遇にある太宰の優しさと寂しさに惹かれ、自身の感情を整理できぬまま深い愛着を抱くようになる。病に苦しむ太宰を支え、自らの生活を捧げようとする山崎の葛藤と愛情が日記形式で記される。やがて二人の関係は、死をも覚悟した切実な愛へと変容し、連名の遺書へと繋がっていく様子を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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愛してしまいました。先生を愛してしまいました。 三月二十七日~十月十七日
[#改丁]
三月二十七日
今野さんの御紹介で御目にかかる。場所は何と露店のうどんやさん。特殊な、まあ、私達からみれは、やっぱり特殊階級にある人である――作家という。流説にアブノーマルな作家だとおききしていたけれど、“知らざるを知らずとせよ”の流法で御一緒に箸をとる。“貴族だ”と御自分で仰言るように上品な風采。
初めの頃は、御酒気味な先生のお話を笑いながら聞いていたけれども、たび重ねて御話を伺ううちに、表情、動作のなかから真理の呼び声、叫びのようなものを感じて来るようになった。私達はまだ子供だと、つくづく思う。
先生は、現在の道徳打破の捨石になる覚悟だと仰言る。また、キリストだとも仰言る。――「悩み」から何年遠ざかっていただろうか。あのときから続けて勉強し、努力していたら、先生のお話からも、どれほど大切な事柄が学ばれていたかと思うと、悲しい。こうしてお話を伺っていても漠然としか理解できないことは、情けない。
千草で伺った御言葉に涙した夜から、先生の思想と共になら、あのときあの言葉ではないけれども――「死すとも可なり」という心である。
聖書ではどんな言葉を覚えていらっしゃいますか、の問いに答えて私は次のように答えた。「機にかなって語る言葉は銀の彫刻物に金の林檎を嵌めたるが如し」。「吾子よ我ら言葉もて相愛することなく、行為と真実とをもてすべし」。新聞社の青年と、今野さんと私とでお話したとき、情熱的に語る先生と、青年の真剣な御様子と、思想の確固さ。そして道理的なこと。人間としたら、そう在るべき道の数々。何か、私の一番弱いところ、真綿でそっと包んででもおいたものを、鋭利なナイフで切り開かれたような気持ちがして涙ぐんでしまった。
戦闘、開始! 覚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。
四月三十日