TRENDIA CLASSIC

梯梧の花

山之口貘

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ぼくが、まだ、おっぱいをのんでいたころのある日のことである。母のおっぱいに吸いついたのであったが、すぐに、おっぱいを突っ放して、ぼくは泣き出してしまった。ぼくのことを離乳させるために、母がその乳首のところに唐辛をつけてあったからなのである。ぼくは、泣きながら、台所にあった小さな水桶を引き摺って来て、その水に手をぬらしては、母の乳首を懸命に洗ったことを記憶しているのである。だが、洗ってから、おっぱいをのんだかどうかは、さっぱり記憶にはないのだ。しかし、そのことは、おそらく、ぼくの人生の最初の大事件なのであったに違いなく、ぼくの記憶の一番古いものとして、いまでも時に思い出すことなのだ。そしてそのたびに、ぼくは仏桑華の花をおもい出さずにはいられないのであるが、それはあのころ泣きながらも、ぼくの眼に、仏桑華の花がちらついて見えていたことを覚えているからなのであろう。一本の仏桑華が、当時の家の庭(実は庭ではなかった。縁側の面しているわずかばかりの空地なのであった。)の片隅に、生えていたのだ。

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