貧乏を売る
本文約5,700字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
詩人である著者が、自身の貧困生活を題材にした原稿を執筆し、対価を得る行為を「貧乏を売る」と表現する。本作は、放送出演の依頼を通じて妻を説得し夫婦で貧乏物語を語った顛末や、新聞に生活の困窮ぶりを綴ったことが原因で、多感な年頃の娘ミミコが学校で周囲から揶揄される様子を描く。書くことの恐ろしさと家族への影響、そして生活のために現実をありのまま記す苦悩を通じ、詩人の営みを回想する。
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この間のことである。蛇皮線の大家と云われている人が、東京を引揚げて沖縄へ帰ることになり、その送別会が催されたが、場を変えて二次会になり、新橋のある泡盛屋にぼくはいた。ぼくは二年ばかりこの方、酒を遠慮しているのであるが、それでもまだずっとやめるというほどの気にはなれず、おっかなびっくりで、なめるようにしてそこにいたのである。そこへ、「この方が御面会です。」と云って、店の女の子が、名刺をよこしたのである。ある週刊誌のカメラマンである。障子を開けてのぞいてみると、若い人がカメラを持って立っていたが、すぐに近くに寄って来て云った。
「いま実はお宅へうかがったんですが。」と云うのである。すでに暗くもなっているし、遠いところを、ここまで追っかけて来たのでは、余程急ぎのことであろうと察しはついたのであるが、御用件はときくと、「実は今日〆切りで急いでいるんですけれど、写真をうつさせていただきたいんですが。」と云うのである。カメラマンだから、そうには違いないわけであるが、即答しかねていると、
「実はですね。奥さんと御いっしょのところをほしかったんですが、お留守だったんで先程奥さんだけ別にうつさせていただきました。それで仕方ありませんので別々に。」と云うのである。
「なんに使うんですか。」
「実はうちの雑誌でこういうダイジェストをやっているんですが、先生のこの間の放送の。」
「放送?」
「そうです。」と云うわけなのである。
この間の放送と云えば、ある民間放送で、女房といっしょに録音放送をしたが、それは午後三時の「生活を見つめて」とかいうのであった。ぼくはすでにこれまでも、「朝の訪問」を二度ばかりと、てい談だの、随想だのその他で、録音放送の経験を持っていたのであるが、女房といっしょの「生活を見つめて」の放送ほど、苦労したことはかつてなかったのである。それはとにかく、ぼくは、カメラマン氏に感心しないではいられなかった。というのは、写真ぎらいの女房を、カメラの前に立たせることが出来たのかとおもったからである。
「よくうつさせましたね。」