アラスカ通信
本文約16,100字 ・ 読了時間 約33分
あらすじ(AIが作成しました)
1949年、羽田を出発した著者は、飛行機で北太平洋の霧の上を越え、アラスカへと向かう。道中、アリューシャン群島のセミア島に寄港し、文明から隔絶された荒涼たる土地の光景を目の当たりにする。アンカレージを経てフェアバンクスに到着した著者は、現地の大学での研究の様子や、狩猟と魚釣を日常とする地元住民の桁外れな生活実態に触れる。広大な自然とそこで営まれる人々の暮らしを通じ、世界の広さと日本の視点の狭さを実感する旅を綴る。
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アリューシャンを越えて
七月六日の午後、ノース・ウェスト機で羽田を立った時は、雨の中であった。しかし間もなく雲の上に出たので、気象状態はそう悪くなかった。
ときどき霧雨が窓を濡らし、灰色の雲がちぎれちぎれにとぶ。そして機は時々軽くゆれた。ところが千島の沖へかかった頃から、急に気流の状態がよくなった。三十六人乗りのあの大きい飛行機は、まるでぴたりと空中に静止したように、ちっとも動揺が感ぜられない。海上はすっかり濃霧にとざされて、霧頂は五千フィートくらい、その霧の上面は、水平な平面になっていて、積雲型の細かい凹凸が綺麗に並んでいた。
霧の状態は極めて安定なようであった。あとでフェアバンクスの気象台で、その日の天気図を見せて貰ったので分ったことであるが、弱いが複雑な構造の不連続線が、ちょうどこの頃にこの航空路を通り抜けて、太平洋側に出た後だった。それで気流の状態は上々であった。
薄明が長く続いて、午後八時頃に、太陽がようやく霧の曠原の彼方に落ちた。水平線に近い空が、一面のあかね色に染まり、一点の雲もない青磁色の天空に、そのあかね色が美しくとけこんでいた。霧頂は見渡すかぎり、一面の薄青い透明な鼠色である。名墨を淡めたような色をしている。羽田を出て五時間くらいで、もう全く別の世界に入ったのである。
しかしこの天空の世界と、濃霧の底に横たわっている地上及び海上の世界とは、全くひどい違いなのである。戦争中に根室の町はずれで、この濃霧の研究をした頃の思い出が、ふと頭に浮んできた。物質文明からも、近代文化からも、全くかけ離れた荒涼たる磯辺で、人々は霧雨にぐっしょり濡れて、黙々として終日働いていた。この太陽から見放された世界は、色のない世界であった。