TRENDIA CLASSIC
アラスカ通信
中谷宇吉郎
1 / 22
アリューシャンを越えて
七月六日の午後、ノース・ウェスト機で羽田を立った時は、雨の中であった。しかし間もなく雲の上に出たので、気象状態はそう悪くなかった。
ときどき霧雨が窓を濡らし、灰色の雲がちぎれちぎれにとぶ。そして機は時々軽くゆれた。ところが千島の沖へかかった頃から、急に気流の状態がよくなった。三十六人乗りのあの大きい飛行機は、まるでぴたりと空中に静止したように、ちっとも動揺が感ぜられない。海上はすっかり濃霧にとざされて、霧頂は五千フィートくらい、その霧の上面は、水平な平面になっていて、積雲型の細かい凹凸が綺麗に並んでいた。
霧の状態は極めて安定なようであった。あとでフェアバンクスの気象台で、その日の天気図を見せて貰ったので分ったことであるが、弱いが複雑な構造の不連続線が、ちょうどこの頃にこの航空路を通り抜けて、太平洋側に出た後だった。それで気流の状態は上々であった。
薄明が長く続いて、午後八時頃に、太陽がようやく霧の曠原の彼方に落ちた。水平線に近い空が、一面のあかね色に染まり、一点の雲もない青磁色の天空に、そのあかね色が美しくとけこんでいた。霧頂は見渡すかぎり、一面の薄青い透明な鼠色である。名墨を淡めたような色をしている。羽田を出て五時間くらいで、もう全く別の世界に入ったのである。
しかしこの天空の世界と、濃霧の底に横たわっている地上及び海上の世界とは、全くひどい違いなのである。戦争中に根室の町はずれで、この濃霧の研究をした頃の思い出が、ふと頭に浮んできた。物質文明からも、近代文化からも、全くかけ離れた荒涼たる磯辺で、人々は霧雨にぐっしょり濡れて、黙々として終日働いていた。この太陽から見放された世界は、色のない世界であった。
中谷宇吉郎の他の作品
TRENDIA CLASSIC
I駅の一夜
中谷宇吉郎
I駅の一夜
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
アイクと鳩山さ
ん
中谷宇吉郎
アイクと鳩山さん
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
あすへの話題
中谷宇吉郎
あすへの話題
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
油を搾る話
中谷宇吉郎
油を搾る話
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
新しい生花
中谷宇吉郎
新しい生花
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
アメリカ種の落
語
中谷宇吉郎
アメリカ種の落語
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
安倍さんとタゴ
ール
中谷宇吉郎
安倍さんとタゴール
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
「悪魔の足跡」
中谷宇吉郎
「悪魔の足跡」
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
赤倉
中谷宇吉郎
赤倉
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
アメリカの旅
中谷宇吉郎
アメリカの旅
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
アメリカの新聞
中谷宇吉郎
アメリカの新聞
中谷宇吉郎
TRENDIA CLASSIC
アメリカの沙漠
中谷宇吉郎
アメリカの沙漠
中谷宇吉郎