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TORENDIA

桐の花

本文約42,900字 ・ 読了時間 約86分

あらすじ(AIが作成しました)

桐の花が咲きカステラが並ぶ晩春から初夏の情景の中に、近代的な感覚と古い悲哀を織り交ぜる詩人自身の心情を綴る。短歌を古宝玉に見立て、かつての感傷と新しい芸術的なタッチを融合させようとする試みを描く。随筆や評論を収める本作は、自身の歌集に託した夢や哀愁、そして若い日の記憶が薄紫の花のように消えゆく儚さを叙情的に表現し、創作における自身の指針や美学を明かす。

北原白秋

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わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ

はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ

凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし

Tonka John

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桐の花とカステラ

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27. . 10

桐の花とカステラの時季となつた。私は何時も桐の花が咲くと冷めたい吹笛の哀音を思ひ出す。五月がきて東京の西洋料理店の階上にさはやかな夏帽子の淡青い麦稈のにほひが染みわたるころになると、妙にカステラが粉つぽく見えてくる。さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく桐の花の淡紫色とその暖味のある新しい黄色さとがよく調和して、晩春と初夏とのやはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。私にはそのばさばさしてどこか手さはりの渋いカステラがかかる場合何より好ましく味はれるのである。粉つぽい新らしさ、タツチのフレツシユな印象、実際触つて見ても懐かしいではないか。同じ黄色な菓子でも飴のやうに滑つこいのはぬめぬめした油絵や水で洗ひあげたやうな水彩画と同様に近代人の繊細な感覚に快い反応を起しうる事は到底不可能である。

新様の仏蘭西芸術のなつかしさはその品の高い鋭敏な新らしいタツチの面白さにある。一寸触つても指に付いてくる六月の棕梠の花粉のやうに、月夜の温室の薄い硝子のなかに、絶えず淡緑の細花を顫はせてゐるキンギン草のやうに、うら若い女の肌の弾力のある軟味に冷々とにじみいづる夏の日の冷めたい汗のやうに、近代人の神経は痛いほど常に顫へて居らねばならぬ。私はそんな風に感じたいのである。

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