北京と巴里(覚書)
本文約7,700字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
北京と巴里(覚書)は、著者が支那と欧州の都市を巡り、東西の精神構造や近代の混乱について綴る随筆である。北京を自然物のごとき巨大な消費の街として、パリを科学と解析の街として対照的に描き、馬祖とデカルトの言葉を引用して、それぞれの都市が体現する現実の在り方を論じる。二十世紀の混乱の中で、東洋的な心理を基盤とした現代の生活設計や文学の認識の在り方を思索する。
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芥川龍之介氏は上海へ行くと政治のことばかりに頭が廻って困ると私にこぼしたことがある。そのころの政治という言葉の意味は今の思想という言葉に当るが、言葉も十年の間にかなりな意味の変化をしているものだと思う。このごろは精神の政治学という斬新な言葉もフランスから出て来たが、思想という言葉の含んでいる行為の部分を強めて言えば、思想は精神の政治学と言っても良い。芥川氏は私の見たところでは当時の誰よりも、自分の精神に政治学を与えていた人のようであったが、もし今も氏が生きていたなら、必ず氏の好んだ北京よりも嫌った上海の方に興味を感じたにちがいあるまい。上海を歩いていれば、ここでは絶えず自分の精神に調節をほどこす政治が必要である。またその調節の方法や度合も二十世紀の調節の仕方に、ある程度の東洋の工夫をこらさねばならぬ。この東洋の工夫がわれわれに最も必要緊急な政治学となって来たことは、支那をこの度廻って来て私の痛切に感じたことであった。私も私なりにこの工夫をしてみたいと思ったが、両手からはみ出して来る圧力には何とも致し方がなかった。
私は支那に足を踏み込む度に、前から東洋ということを、あまりに大きな手にあまった問題だと思っても、それが頭にのしかかって来て取り去ることが出来なかった。これは単に私のみではなかろうと思う。人は見て来たところは何らかの方法で自分で処置をつけておかないといつか必ずまた自分の中で膨れ出す。私は支那で会った人々で長くこの地にいる優れた人物ほど、どうも支那というところは分らないと嘆息するのを一度ならず聞いたことがある。その都度思わず私もそのまま真似したくなったが、これをそのように言っては心に政治もほどこせない。どこか分らぬもののあればこそと思いつつ私はこの暮に北京の方へ支那海をのぼっていった。