TRENDIA CLASSIC

スフィンクス(覚書)

横光利一

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愛を言葉に出して表現するということは日本人には難しい。この表現の形式はむかしから内へ押し隠されて来たのが習慣だから、愛情を覚えると法がなくただもじもじとして羞らうだけだ。日本に愛を感じるか感じないかということも、答えは誰も同じとしても表現が難事である。よく世間にある父親のように自分の息子を可愛くないという顔つきだけ人前でしてみせて、内心そっと夜の夜中に反り返って寝ている不行儀な息子に蒲団をかけてやるように、日本という自分の国に対しても同様な場合が必ずしもないではない。

殊に知識階級の中には、おれは日本を愛しているという顔つきは、人前だけではしたくないという羞しさが眼に見えてある。これが幾年となく続くと、後から来る青年が真面目にその表情を信じて、だんだん先輩の表情そのままを心の中に植えつけてしまい、心も顔と一つになって来たのである。これは困ったことになったと気がついて周章てた者と、いつの間にか自分もそのような青年と一つになり、あくまで人間的な内面の愛情という心理を押し隠そうと努めつつ、これこそ時代が進んだ証拠だと思うものと、また時として、人間の心理などというものが世界に利益を与えたことがあるものか、知性というこれこそ利益を与えるものだと確信をいだいた一群の者と、何事もただ科学科学という一手の押しで押しまくって来た者との対立が、このごろの紛々たる世情になって来た。しかし、考えればまたこの闇にいろいろな近代性の織り込まれていることも発見出来る。知性の改造という心理的な要求の叫ばれて来たのもこのあたりに理由があるのであろう。

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