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TORENDIA

北国の春

本文約10,100字 ・ 読了時間 約21分

あらすじ(AIが作成しました)

アメリカのウィネッカで暮らす著者が、窓から眺める冬姿の闊葉樹の風景に北海道の面影を重ね、当時の異国生活の感想を綴る。あわせて、北海道で経験した山うどの栽培や鰊の味を振り返りつつ、アメリカの食糧事情やバターの過剰在庫問題に触れる。さらに、日本の食糧自給の観点から酪農や畑作の重要性を説き、北海道開発が日本の国是において持つ意義を論じる随筆である。

中谷宇吉郎

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ウィネツカは札幌と大体緯度が同じくらいで、風物にも似たところがある。とくに春は感じがよく似ている。ともに北国のおそい春であるが、それにもまた捨てがたい情趣がある。

二度目のウィネツカの春を迎えて、異国の生活にも大分馴れたが、やはり少し草臥れたのかもしれない。二十年間住んだ札幌のことなどが、時々思い出される。アメリカから北海道へというような気持で、北国の春を、思いつくままに綴ってみた。

ウィネツカの早春

シカゴの郊外、このウィネツカの町にも、ようやく春がきて、毎朝目をさますと、春の陽があたたかく、ガラス戸越しにさしこんでいる日がつづく。

今年は何十年ぶりとかで、雪の少かった年で、おかげで芝生は、早くから緑の姿をとり戻している。しかし何といっても緯度が高いので、立木はまだ冬の姿のままである。このあたりは、針葉樹は全然ないところで、街路樹も庭木も、みなエルムとか、樫とか、柏とかいう、闊葉樹ばかりである。それらの木は、まだ一月もしないと、新芽が出ないので、今のところは冬姿のままである。

街路樹はもちろんのこと、庭木といっても、日本でいう庭木とは、全く意味がちがっている。全然人工の加わっていない自然のままの立木である。このあたりは拓けてからまだそう年月が経っていないので、もとの原始林の立木を、そのまま残したものが多い。それでこれらの庭木は、たいていは、三階建の家の屋根をはるかに越す背の高い木が多い。そういう大きい立木が、芝生の中に、きわめて無造作に、にょきにょき立っているのが、即ちこの土地での庭なのである。

こういう風景は、日本内地では、ちょっと見かけられないが、札幌では、何も珍しいことではない。札幌の北大の構内は、エルムの学園などといわれて、戦前のまだ豊かであった日本では、東京などの若い人たちの間に、大いに人気があった。あの北大のエルムも、原始林の立木を、そのまま残したものである。

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