TRENDIA CLASSIC

母性愛の蟹

中谷宇吉郎

1 / 4

加賀の蟹は、東京などにもよく知られている。いわゆる「ずわい蟹」という。脚の長い形のよい蟹である。

この蟹は、一般には、越前蟹と呼ばれているが、肉は白い大理石のような色をしていて、きめのこまかい締った肉の歯ごたえが、誰にも喜ばれている。

しかしこの蟹とほとんど同じ時期に、「こうばく蟹」という小さい蟹も、北陸の沿岸では、たくさん漁れている。甲の大きさは、直径二寸足らず、細くすんなりと伸びた脚を伸ばしても、全長七寸程度の小さい蟹である。形はだいたい「ずわい蟹」と似ていて、少しお腹をふくらました感じである。

このこうばく蟹は、ほんとうは、ずわい蟹の雌であって、ただ形がひどく小さいだけの違いである。似たような形というのも当り前であって、同じ種の雄と雌とである。ずわい蟹は、脚を伸ばすと、全長一尺五寸から、大きいのになると、二尺くらいもある。そういう立派な蟹と、全長七寸程度のこのこうばく蟹とをならべてみると、全く別の種類のように見える。しかし動物学的には、全く同じ種類の雄と雌とのちがいだけである。

ところで、加賀の蟹として、一流の料理店で珍重されている雄よりも、この小型のこうばく蟹の方が、頭抜けてうまいのである。ただ見たところがちょっと貧弱なために、こうばく蟹の方は、値段がひどく安い。これはなにも今日の貨幣経済の世の中だけの話ではなく、私たちの子供の頃から、既にそうであった。北陸の片田舎で育った私など、子供の頃を思い出してみると、ずいぶん質素な生活をしていたものである。牛肉などは、一月に一度町へはいると、店屋の人が、小さい赤い旗を立てて、町をねり廻って、牛肉の入荷をふれて歩くような次第であった。

中谷宇吉郎の他の作品