六三制を活かす道
本文約17,700字 ・ 読了時間 約36分
あらすじ(AIが作成しました)
戦後の日本に導入された六三制は、国情や運用面の不一致から様々な教育問題を生じさせている。筆者はアメリカでの滞在経験を通じ、現地の教育が単なる制度の輸入ではなく、その内容や理念を適切に運用していることを考察する。六三制そのものを否定するのではなく、入学試験を前提とした現状の社会構造を見直し、初等教育における道徳的躾と高等教育における知識の習得を明確にするなど、その理念を正しく理解し活かすべきだと論じる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一 六三制の十年
そろそろ新学期を迎える頃になると、毎年思い出したように、教育問題が、日々の新聞紙面に、華々しく登場してくる。入学試験が眼前に迫ってくると、受験生徒をもっている家庭では、親も子もなく、一家を挙げての最大の関心は、「教育問題」に向けられる。
しかし教育の問題は、今更述べ立てるまでもなく、国家百年の大計であって、年に一回の入試時期だけの問題ではない。敗戦後の日本は、新憲法の制定、財閥の解体、農地法の実施など、幾多の革命的な変革を強行したが、これらの大変革にも劣らぬものが、六三制という新学制の採用であった。
学制の改革くらいは、それほどの重大事ではあるまいと思われるかもしれないが、実際は、あの学制改革は、ほとんど不可能のことを、強行したともいえるのである。日清、日露の戦に勝ち、朝鮮を併合した明治の時代、すなわちいわゆる日本の最盛期においても、小学校四年の義務教育を、六年に延長することは、かなり困難な事業であった。それを敗戦後の瀕死の国情下において、一気にさらに三カ年も延長することは、そもそも初めから無理を通り越した話である。しかもこの六三制は、全く国情の異なったアメリカにおいて、育成された学制である。それをそのまま鵜呑みにして、貧窮のどん底に落ちた日本へ適用しよう、というのであるから、困難の度は、初めから推して知るべきであった。