転地療養
寿商店の独息子新太郎君が三度目の診察を受けた時、丹波先生は漸く転地を勧めてくれた。
「山が好いでしょう。一月ばかり呑気に遊んで来れば直りますよ」
と子供の頃から手にかけているから、新太郎君の容態を兎角軽く見る。新太郎君は又重く言う癖がある。今回は元来転地が希望だったので、既に去年の避暑の宿を頭に描いていたから、
「海岸じゃいけませんか?」
と註文をつけた。
「海岸でも結構です」
と丹波さんはニコ/\していた。番頭や小僧の多い商店は下町の開業医に取って一番大切の患家である。
「それじゃ海岸にします」
と新太郎君は元気好く答えた。去年までは学生だったから、毎年大威張りで避暑に行けたが、この四月からは親父の店の月給取だ。矢張り一緒に卒業した従兄弟の寛一君と二人がかりで番頭共にお手本を示す立場だから骨が折れる。神経衰弱にでも罹らなければ浩然の気は養えない。
「兎に角お父さんから避難出来れば宜いんでしょう?」
と先生も多少その辺の消息を解していた。
「冗談仰有っちゃいけませんよ」
と新太郎君は頭を掻いて診察室を出た。それから薬局の窓口へ廻って、
「もし/\、お薬は後から小僧が取りに参ります」
「一寸お待ち下さい」
と薬局生は先生のところへ訊きに行って来て、
「お薬には及びませんそうで、折角お大切に。ヘッヘヽヽヽ」
と窓の内から新太郎君を覗き上げた。
新太郎君は稍忌々しかったが、完全に目的を達した次第である。家へ帰ると直ぐに、
「丹波さんは何うも大袈裟で困りますよ。この忙しいのに、一月ばかり海岸へ転地しろと仰有るんです」
とお母さんに相談した。
「そんなに悪いの?」
「いや、今直ぐ何うってことはありませんが、無理をすると悪くなる心配がありますから、一思いに早く静養する方が宜かろうと仰有るんです」
「然うしますか?」
「えゝ。店の方の都合さえつけば」
「病気なら仕方ありませんわ。卒業試験の時に毎晩徹夜で勉強したのが応えているんですよ」
「然うです。学校を卒業すると大抵一遍は神経衰弱をやるものです」
と、まさかそんな理法もあるまいが、母親は瞞し宜い。
「でも寛一は平気じゃないの?」