続先生を囲る話
本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
寺田寅彦との思い出を綴る随筆。合理的に物を考える「ラショナリスト」の重要性を説く物理学者としての姿勢、津波現場で金庫の浮力を解明するエピソード、俳句的な論文執筆の評価への反応、理研を動物園に見立てる茶目っ気、チェロの猛練習に励みつつ楽器の物理的な仕組みを追求する姿などを描く。物理学者でありながら音楽や芸術にも深い関心を寄せ、独自の研究に取り組んだ人物像を、著者が間近で観察した日常の出来事を通して浮かび上がらせる。
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○ Rationalist の論
先生は書かれるものには、「とも考えられる」とか、「かも知れない」というような表現を始終用いておられるが、話をされる時には、特に少数の集りの場合には少し熱がはいってくると、随分はっきりと物をいわれたものであった。
僕はこの頃になって、科学者は総ての問題に口を入れて、決して恥しくないという自信を得たよ。この頃ネーチュアに、scientist という言葉がいけない、rationalist とした方が良いという意見が出ていたが、その通りだと僕も思う。科学者というものは、宜しく rationalist すなわち合理的に物を考える人にならなければいけない。特に物理をやる者は、物の理を学んでいるという気持を始終失ってはいけない。少し極端なようだが、僕はどんな学問をやるにも物理が必要だと思うね。物の理を知らなくては学問は出来ないからな。ところが専門の物理学者になってしまうと、かえって物の理を忘れてしまうことがあるから、その点はよほど注意していなければいけない。ネーチュアに rationalist の論が出た時、色々の人の意見をきいていたが、その返事の中に、ラサフオードが自分はアマチュアである、決して professional scientist ではないという回答をしていたが、大いに我が意を得たりと思ったね。あれでなくちゃいけない。
実験なんかでも、あまり勉強ばかりしていると、つい目を瞑って研究をするようになるから、よほどその点は注意する必要がある。いつでもアマチュアの気持を失わずに、楽しみながら、始終目を開いて仕事をしなければいけない。それがすなわち rationalist なんだよ。
○ 津浪と金庫の話