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TORENDIA

南画三題

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

著者自身の墨絵との関わりを中心に、墨や硯といった道具へのこだわりや、科学者としての視点から取り組む独自の画風について綴る随筆。療養中に始めた墨絵において、玄人の技術を追うのではなく、あえて「下手であること」を良しとする信念を語る。また、過去の南画家が描かなかった物理の教科書の図解や雪の結晶を題材とするなど、科学的知見を応用した独自の作品作りや、名墨・名硯との邂逅による芸術の愉しみを回想する。

中谷宇吉郎

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🎧 南画三題 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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科学的な南画

墨絵を始めてから、もう二十年近くになる。北支事変の一寸前頃、難病を患って、伊豆の伊東で、二年間療養したことがある。その時に覚えたのが、随筆を書くことと、墨絵とである。

その後随筆の方は、大分註文が多くなったが、墨絵の方は、あまり註文がなかった。無料でやったのがいけなかったのかもしれない。もっともそればかりでなく、本質的な理由もある。何時まで経っても、上手にならないからである。

私の高弟の小林勇君などは、見る見るうちに上手くなってとっくに師匠を凌駕してしまった。私を帝展の審査員とすると、勇は大観、古径の級になってしまった。もっとも熱心の度が違うので、これも致し方がない。牡丹の絵巻物をつくるとなると、毎朝五時に起きて、庭へ出て、出勤までの二時間を、画境三昧に入る。

それを一日も欠かさず、降っても照っても、毎朝、花期の間中つづけるのであるから、いささか恐れ入る。雨の降る日は、奥さんが傘をさしかけていてくれるのだそうである。これだけの熱心さと内助の功とがあれば、誰だって、絵は上手になる。

勇はそれを才能のせいと思っているらしく、この頃一緒に画を描くと「中谷さんは、いつまで経っても、ちっとも上手くならないね」と、よく言う。決して嘘やお世辞はいわない男であるから、私も我が意を得たりという顔をする。というのは、「素人の絵は、下手なところがよいのだ」という信念をもっているからである。

それには良い例がある。

小宮(豊隆)さんが仙台におられた頃、札幌の行き帰りに、よく小宮さんところへ寄って、文人墨客の会をしたことがある。その時、小宮さんが必ず招待された客の一人は、法文学部のP教授であった。非常に熱心な南画家で、画を画くのに必要な道具を、全部揃えてもって来てくれるので、便利だという点もあったらしい。

P教授は、もうすっかり玄人の域に達し、枇杷であれ、南天であれ、とっとと描いてしまうくらいの腕である。

ところで仙台の大学には、絵の会があって、毎年その展覧会をする。その時には、亡くなられた安井(曾太郎)さんを呼んで、批評をして貰うしきたりになっていた。

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