米粒の中の仏様
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
仔猫のミミーと朝食をとるなかで、著者は子供の頃に祖母から聞いた「米粒の中には仏様がいる」という話を思い出す。物を大切にする精神や農村の信仰、さらには木材やマッチを無駄にしない姿勢など、科学的合理性とは異なる生活の知恵を綴る。また、冬の北海道における橇の搬出実験という自身の研究を通じ、問題解決のヒントや思考の本質について思索を巡らせ、経済や効率のみに支配されない人間本来の生活の豊かさを描く。
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ミミーはまだ生れて二月にしかならぬ仔猫であるが、ペルシャ猫の血が混っているということで、ふさふさとした毛並みの綺麗な猫である。毎日ひまさえあれば子供達にぶら下げられて可愛がられるので閉口しているようであるが、感心におとなしい行儀の良い猫である。一番感心なことは、台所の隅に子供達の古いお椀を置いて、それに御飯を入れて置いてやると、いつの間にかすっかり喰べてしまって、洗ったように綺麗にしてしまうことである。とかく猫というと御飯を残したり散らしたりして汚くして置きやすいものなのにこれはまたちょっと珍しい猫である。
今朝も朝陽を浴びながら、四畳半の茶の間で子供達と一緒に朝食を喰べていて、その話が出た。ミミーもすぐ横の台所の板敷の上に、暖かい御飯に味噌汁と鰹節をかけたのを貰って、立ち上る湯気を迷惑そうに眺めながら、側におとなしく坐って御馳走の冷えるのを待っていた。その少し薄暗い台所に白い湯気の立っている景色からの連想からか、ふと子供の頃の田舎の家のことを思い出した。その頃家に居た大きい白猫のことをよく祖母が可愛がっていて、「御米の粒の中には、一粒々々に仏様がいらっしゃるんだが、猫が喰べようとすると、その仏様が皆逃げ出されるので、猫が喰べても人間が喰べた時のように美味しくはないのだ。それで猫はきっと御飯を残すものにきまっているのだが、可哀そうなものだ」といっていたのが思い出された。それでその話を皆にして見たら、この四月から学校へ上るという一番上の女の子が眼を円くして聞いていた。そして御飯がすんだ時に、空の茶碗を私の方へ見せながら、「ほら、仏様が一つもついていないでしょう」といった。