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TORENDIA

梅雨

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

重苦しい梅雨の季節、庭に迷い込んだ鶯の鳴き声に心を動かされた著者は、友人である川端康成と共に北海道への旅路へ就く。道中、八戸にキリストが辿り着いたという荒唐無稽な説を語り合う二人は、立ち寄った浅虫の駅でキリストに酷似した老人を目撃する。現実と幻想が曖昧になる梅雨の曇天の下、旅先の風景や人々の中にキリストの影を重ねる体験を通じ、著者は人間が抱く夢や精神の在り方について綴る。

横光利一

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🎧 梅雨 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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去年の梅雨には曇天が毎日續いた。重苦しい濕氣のなかで私は毎日ねつとりとした汗をかき、苦しんだ。思へば毎年その頃になつて筆の動いた試しがないが、この年の梅雨の日は或る日どこからか逃げてきたらしい鶯が庭の繁みのなかで鳴きはじめた。梢をのぞいても姿は見られなかつたが、聲だけは塀の周圍を鳴き續けてやまなかつた。これが毎日、同じ處で鳴き續け、同じ方向にいつも舞つてゐるのが感じられると、頭はその聲を中心に急に動き出したのを覺えてゐる。

その頃、北海道行きの話が出て川端君とふたりで奧羽本線を青森の方へと行き淺蟲で一泊した。車中キリストの話が出た中で、その前月のある雜誌に青森縣の八戸で崇神天皇の時代、キリストが八戸に來て此處に住ひ、ここで死し、墓場さへこの地にあるといふ記事を讀み、その荒唐無稽さに驚き乍らも、このやうな夢をもたねば生きられなくなつた現代人の頭に就いて興味をもつたことを話しあつてゐるとちやうどふたりは八戸の手前まで來かかつた。八戸はここで降りるのだといふ驛で、ここには家内の實家があるのだと微笑する川端君と共に、驛の周圍の陰鬱な雨空を見廻したが、私にはそのキリストの荒唐無稽な説も鶯の聲のやうに節面白く頭に生きて、思はずにそのやうな説を説く人達の頭も、とりすがつた夢の美しさのやうに感じられた。

淺蟲へ着いた翌朝、驛から汽車に乘らうとすると待合室に充滿してゐる小學生達の遠足姿に混り、小使らしい黒い詰襟の老人が辨當を持つてベンチに腰をおろしてゐる姿をふと眺めた。すると、何とその顏はキリストそつくりの顏である。

「君あれ見給へ、キリストそつくりだ。」

と思はず私が云ふと、

「ほんに、似てるなあ。」

と川端君は云ひつつ手にしたカメラを上げて、そのキリストを寫さうとしかけたが、

「どうも氣の毒だから、やめよう。」と云ふと、寫さずそのままカメラをおろした。そしてまた、

「ふしぎだねえ。」

と云ふ。あのときもしそのまま寫眞に撮つておいて今みたなら、或いは、人は辨當箱を持つたキリストだと思ふかも知れない。それほどによく似た顏である。

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