TRENDIA CLASSIC

千年の時差

中谷宇吉郎

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人間のものの考え方はもちろんのこと、感じ方さえも、時代と環境とによって、ずいぶんひどくちがうものだということを、この頃しみじみと感ずるようになった。いわばこの齢になって、やっとものごころがついたわけである。

コペルニクス以前の人間のものの考え方は、現代人には、到底理解されないという意味の、有名な言葉があるそうである。こんなことをいい出すのは、実は大分以前から、妙な道楽が一つあるからである。それは柄にもない話であるが、古代文化に関する雑書の濫読という道楽である。弟が考古学をやっていたので、その影響を受けたのかもしれないし、或いは兄弟ともに、何かそういう血筋をひいているのかもしれない。

われわれの遠い祖先は、今日とは質的に乖離した文化の中で、現代人からは全くかけ離れた意識をもって生きていた。そういう遙かなる悠久の昔の夢を心に描いてみることは、何という理由なしに、ただたのしいものである。それは日本だけに限った話ではない。殷墟の甲骨文字の研究も、シェバの女王の生い立ちを伝える楔形文字の土板も、『暁の女王と幻の王の物語』も、ただその題目を見るだけで、もう充分たのしいのである。

どうせ原著は読めないのであるから、専門の学者たちの解説か、随筆くらいを通じて、いろいろと自己流の夢を描いてみて、それで結構満足している。一番いいのは、遺物の写真や、発掘品の絵の原色版をながめることである。紀元二千六百年記念に、審美書院から出された『西域画聚成』など、こういう目的には、まことによく適ったものである。トルキスタンの死の荒野に、千年以上も埋れていた絵が、まるで昨日描かれたように、鮮かな色彩をのこしている。降魔図の中などに出てくる、もろもろの妖怪変化にも、何か生命があるような気がする。少なくもこれを描いた人々の頭の中では、こういう姿のものが実在していたのであろう。

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