千年の時差
本文約4,700字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
中谷宇吉郎は、折口信夫の『死者の書』に触れ、理性以前の古代人の心を現代の文章で描き切った表現力の真髄を考察する。また小林秀雄の随筆集『真贋』を取り上げ、古美術や歴史への深い眼差しを通じて、人間の精神と生命の神秘を読み解く姿勢を綴る。著者は小林の評論に現代における批評精神の到達点を見出し、対象を純粋に愛好する心から生まれる記述の面白さと価値を論じている。
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人間のものの考え方はもちろんのこと、感じ方さえも、時代と環境とによって、ずいぶんひどくちがうものだということを、この頃しみじみと感ずるようになった。いわばこの齢になって、やっとものごころがついたわけである。
コペルニクス以前の人間のものの考え方は、現代人には、到底理解されないという意味の、有名な言葉があるそうである。こんなことをいい出すのは、実は大分以前から、妙な道楽が一つあるからである。それは柄にもない話であるが、古代文化に関する雑書の濫読という道楽である。弟が考古学をやっていたので、その影響を受けたのかもしれないし、或いは兄弟ともに、何かそういう血筋をひいているのかもしれない。
われわれの遠い祖先は、今日とは質的に乖離した文化の中で、現代人からは全くかけ離れた意識をもって生きていた。そういう遙かなる悠久の昔の夢を心に描いてみることは、何という理由なしに、ただたのしいものである。それは日本だけに限った話ではない。殷墟の甲骨文字の研究も、シェバの女王の生い立ちを伝える楔形文字の土板も、『暁の女王と幻の王の物語』も、ただその題目を見るだけで、もう充分たのしいのである。
どうせ原著は読めないのであるから、専門の学者たちの解説か、随筆くらいを通じて、いろいろと自己流の夢を描いてみて、それで結構満足している。一番いいのは、遺物の写真や、発掘品の絵の原色版をながめることである。紀元二千六百年記念に、審美書院から出された『西域画聚成』など、こういう目的には、まことによく適ったものである。トルキスタンの死の荒野に、千年以上も埋れていた絵が、まるで昨日描かれたように、鮮かな色彩をのこしている。降魔図の中などに出てくる、もろもろの妖怪変化にも、何か生命があるような気がする。少なくもこれを描いた人々の頭の中では、こういう姿のものが実在していたのであろう。