中原中也君の印象
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あらすじ(AIが作成しました)
中原中也という詩人の人物像と精神的な病理、そしてその詩風の本質を論じる。強度の神経衰弱と強迫観念に苦しみ、孤独の中で酒に溺れざるを得なかった詩人の痛切な実態を描き出す。また、翻訳者として優れた仕事を残したランボオとの共通点や差異を指摘しながら、情緒人としての詩人の純潔な精神の在り方を考察する。著者の個人的な回想を交えつつ、文学者ゆえの苦悩と変質的な気質を分析した随筆である。
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中原君の詩はよく讀んだが、個人としては極めて淺い知合だつた。前後を通じて僅か三囘しか逢つて居ない。それも公會の席のことで、打ちとけて話したことはなかつた。ただ最後に「四季」の會で逢つた時だけは、いくらか落付いて話をした。その時中原君は、強度の神經衰弱で弱つてることを告白し、不斷に強迫觀念で苦しんでることを訴へた。話を聞くと僕も同じやうな病症なので、大に同情して慰め合つたが、それが中原君の印象に殘つたらしく、最近白水社から出した僕の本の批評に、僕の人物を評して「文學的苦勞人」と書いてる。その意味は、理解が廣くて對手の氣持ちがよく解る人(苦勞人)といふのである。僕のちよつとした言葉が、そんなに印象に殘つたことを考へると、中原君の生活はよほど孤獨のものであつたらしい。大體の文學者といふものは、殆んど皆一種の精神病者であり、その爲に絶えず惱んでゐるやうなものであるが、特に中原君の如き變質傾向の強い人で、同じ仲間の友人がなく、その苦痛を語り合ふ對手が居なかつたとしたら、生活は耐へがたいものだつたにちがひない。前の同じ文中で、中原君は僕のことを淫酒家と言つてるが、この言はむしろ中原君自身の方に適合する。つまり彼のアインザアムが、彼をドリンケンに惑溺させ、醉つて他人に食ひついたり、不平のクダを卷かさせたのだ。この酒癖の惡さには、大分友人たちも參つたらしいが、彼をさうした孤獨の境遇においたことに、周圍の責任がないでもない。つまり中原君の場合は、強迫觀念や被害妄想の苦痛を忘れようとして酒を飮み、却つて一層病症を惡くしたのだ。所でこの種の病氣とは、互にその同じ仲間同士で、苦惱を語り合ふことによつて慰せられるのだ。酒なんか飮んだところで仕方がないのだ。