愛の詩集
本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
室生犀星の『愛の詩集』について、萩原朔太郎がその芸術性と人間的な魅力を論じる。二人の友情の由来、かつて抱いた詩形破壊の盟約、そして犀星が日本現代語の豊かな音楽性と純潔な感情を体得した「生ける愛の詩人」であることを解説する。自身の思想とは異なる側面がありつつも、本作が日本における告白の真実であり、感情生活の貴重な記録であると評価し、犀星の人格的驚異と独創的な表現を称賛する。
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私の友人、室生犀星の芸術とその人物に就いて、悉しく私の記録を認めるならば、ここに私は一冊の書物を編みあげねばならない。それほど私は彼に就いて多くを知りすぎて居る。それほど私と彼とは密接な兄弟的友情をもつて居る。
およそ私たちのかうした友情は、世にも珍なる彼のはればれしき男性的性情と、やや女性的で憂鬱がちなる私の貧しき性情との奇蹟めいた会遇によつて結びつけられた。
主として運命は我等を導いて行つた。
年久しくも友の求めて居たものは、高貴なる貴族的の人格とその教養ある趣味性であつた。そして私の貴族めいたエゴイズムの思想と、一種の偏重した趣味性とは、不思議にも我が友のいたく悦ぶ所となつた。
一方また私の求めてゐた者は、卒直なる情熱的の人格と、男らしき単純さと、明るく健康なたましひをもつた人格であつた。
思ふに私のやうな貴族的な性情をもつて生れた人間にとつて何よりも寂しいことは、あのなつかしい「愛」の欠陥である。神は貴族とエゴイストとを罰するために彼等の心から愛憐の芽生をぬき去つた。(その芽生こそ凡ての幸福の苗であるのに。)あの偉大なるトルストイを始めとして、世の多くの貴族と生れながらのエゴイストとが、悩み苦しみて求めるものは、実にこの「生えざる」苗を求めんとして嘆き訴ふる悲しみの声に外ならない。
之に反して、貧しき境遇にあるもの、生れながらによきキリストの血を受けて長く苦労せる人人の心には、自然とやさしい人情の種が蒔かれて居た。
私の友、室生犀星は生れながらの愛の詩人である。
彼は口に人道と博愛を称へ、自ら求め得ざる夢想の愛を求めんとして、苦しき努力の生涯を終りたる、あの悲しいトルストイの徒ではなくして、真にその肉体から高貴な人義的の愛を体得して生れた「生ける愛の詩人」である。
かうして私と彼とは、互にその欠陥せる病癖を悲しみ、互にその夢想せるしかも正反対の性情の美しさを交換した。
とは言へ、私たちが始めて会遇した主なる動機は、もちろん人間としての交りでなく、ただその芸術を通じての交歓であつた。
その頃此の国の詩壇は傷ましくも荒みきつて居た。新らしいものは未だ生れず、古いものは枯燥しきつて居た。