美味論語
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
まずい食材を美味にする秘法は存在しないと断じ、料理の価値の大部分は材料の質で決まると説く。料理人が施せるのはせいぜい小細工や悪知恵だけであり、本質的な味を変えることは不可能だと主張する。本書は、良質な材料を選ぶ眼識の大切さと、素材の持ち味を損なわないための料理人の根本的な心得について論じる随筆である。
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「まずいものを、なんとかしてうまく食う方法を教えてくれ」という注文がときどぎ[#「ときどぎ」はママ]来るが、まずいものをうまくする……そんな秘法は絶対にない。魔術もなかろう。まずい米は所詮まずい。肉も魚類も菜もみな同様であって、一歩も動くものではない。しかし、うまそうにゴマ化す手はある。それは偽りの美味であって、本来の美味ではない。インチキで小児を騙す手はある。こう答えるよりほかはない。
料理する者なら工夫がありそうにも考えられるのであるが、実はまったく不可能という他ないであろう。「まずいものをうまくする」ことは、どんな料理の名人といえども、なし得るものではない。
無理に工夫すれば、冗費と無駄手間をついやし、労多くして功少なしに終わるまでである。
元来料理というものの効果は、大部分が食品材料の質の価値であって、料理人の功績によるものは、一か、二か、三くらいのものである。本質の持ち味、これは善かれ悪しかれ人間力ではできるものではない。例えば、まずい牛肉でうまい洋食を作らんとしてもでき得ないのと同様に、まずいだいこんをうまいだいこんにしてみようといっても、それはできない。しかし、この簡単な事実が、存外世間では知られていない。怪しい世間もあるからである。これは料理人の根本心得として、知るべきだから、ぜひとも聞いて貰いたい。
固い牛肉をやわらかくすることや、固いたいをやわらかくすることはできる。だがそうすることによって、味がうまくなるとはかぎらない。うまいものは本質的にうまく、まずいものはどこまでもまずい。料理人は商売上、幼稚なひとをゴマ化すだけであって、まずいものをうまそうに見せかけたり、悪質のものを良質に見せかけたりする悪知恵はあるが、本質を変えることはできない相談なのである。