前の話で、家をもったら、紙の始末をどうするか、少し気になるという話を書いたが、その始末法はきわめて簡単にわかった。半分は棄て、半分は燃してしまうのである。
前にいったように、新聞紙と、買物の時にくれる紙袋とが、心配していたとおりに、みるみるうちに溜って来る。しかし何も取越苦労をする必要はないので、こういう紙類などはどんどんさばけて行く。
第一に、台所で出て来る残肴類であるが、それ等の始末に、紙が大いに必要である。裏庭に大きいブリキ罐があって、その中に残肴を棄てておくと、いつの間にか持って行ってくれるのであるが、それ等は一かたまりごとに、新聞紙で何重にも包み、汁が浸み出さないようにして、紙袋に入れ、きちっとした包みにしておく必要がある。日本だったら、東京から北海道へ送る小包くらいの恰好にして、それをこのブリキ罐の中に棄てるのである。
それほどにしなくてもよさそうなものであるが、アメリカの人夫諸君は、人権意識にめざめているので、汁がしみ出しているような汚いものを、運搬させるわけには行かないのである。これで約半分の紙は、うやむやのうちに始末されるわけである。この行方は、多分燃やされるのであろう。
ところで残りの紙であるが、その処分はきわめて簡単明瞭である。裏庭で燃してしまうのである。どこのうちにも、粗い金網で造った大きい籠があって、その中へ余分の紙はどんどん放り込んでおく。三、四日して大分たまると、夕方裏庭でそれに火をつける。凄い勢いで燃えるが、金網の籠であるから、炭坑で使う安全灯の原理によって、全然危険なく、紙だけ焔を天に向けて、勢いよく燃えてしまう。
この頃の女房の役目の一つは、毎夕方、この紙を燃すことと、落葉を焚くこととである。今の家は、シカゴ郊外の住宅地で、立木が多く、少し大袈裟にいうと、森の中に住んでいるようなところである。毎日、庭一杯に落葉がたまるので、それを焚くのが、主人の役目であるが、うちでは日本の道徳を守って、女房に焚かすことにしている。