先年、小林秀雄と、清荒神へ鉄斎の絵を見に行ったことがある。そのときは、一日中かかって、奥の広い座敷で、百幅近い鉄斎を見た。
天気のよい日で、白い障子が明るく、室内は森閑としていた。この部屋は、鴨居にたくさん折釘がついていて、十幅くらいの掛物が、ずらりと掛けられるようになっていた。
次の間に、軸箱がたくさん積み上げてあって、小僧さんが、大事そうにそれをもって来て、一幅一幅かけて行く。小林秀雄は、その前にきちんと正座して、じっと絵に眺め入る。二、三分で、もういいというふうに、一寸眼で合図をして、次の絵の前へ行くこともあるが、ときには、十分以上も、黙ってじっと見入っていることもあった。
小林秀雄は、普段でも横顔がいいが、こういうときは、とくに美しい顔になる。眼を凝らし、頤をぐっとひいて、食い入るように、あの鋭い視線を絵に注いでいる。終始一言も口をきかない。はたから見ているものには、それが非常に長い時間に感ぜられる。そして最後に「これはいいです」とか「美しいですね」とか、一言いう。それを言うと、急に眼がやさしくなり、思いなしか身構えもぐっと楽になって、ほれぼれとした顔つきで、絵を眺めている。
ときには、二、三分も見ないで、すぐ「これはつまらない絵ですね」ということもある。主人の方が慌てて「それでも、これは昭憲皇太后さまのお手許にあったもので、間違いのないものなのですが……」というような弁解をする。「そうですか。それでも、絵はつまらないものです」と、落着きはらったものである。
小林秀雄の絵の批評は、たいていの場合、きわめて簡単明瞭である。「美しいね」と「つまらないものです」との二種類しかない。小学校の生徒のような口のきき方である。いつか、ピカソの絵の話が出たときに、「ああいう絵はどうもわからない」と言ったら、「あれはつまらないものです。わからないなどと皆が言うからいけないので、つまらないもんなんです」とたしなめられた。