犬がなくとガラスがこわれるか
本文約20,200字 ・ 読了時間 約41分
あらすじ(AIが作成しました)
科学とは何かという問いに対し、自然界の事象を客観的に観察し、その背後にある法則を見出す学問であると説く。本書は川の流れの規則性や火星人の存在論といった具体例を通じて、現象の実態を捉える重要性を論じる。さらに、原因と結果の概念や現代科学の知見を例に挙げながら、科学の本質とは何かを問いかけ、人間の理解が及ばない領域への謙虚な姿勢の必要性を綴る論考である。
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今日は、科学の時代といわれる。
宇宙ロケットがとび、人工頭脳がそれを操作する。原子力発電機が、北極の厚さ二千メートルの氷の上に設置され、生命をもったヴィールスが、結晶としてとり出される、まさに科学の時代である。
しかし、これほど、科学科学とさわがれる世の中でありながら、それでは「科学とはなにか」ときかれると、きわめてあいまいな返事をされる人のほうが多い。ロケットも、人工頭脳も、原子力発電も、科学によってつくられたものであって、科学そのものとは、いいかねる。
「科学は、自然界にあるものを、ものとして取扱い、その本体と、いろいろなものの間にある規則性、すなわち法則とをしらべる学問である」といった方がよい。しかしこれでも、なんのことかよくわからない、と言われるであろう。わからない方がほんとうであって、こういう抽象的な言葉で、わかったような気になられると、かえって困るのである。
それで、一つ例をあげて、説明してみよう。
ここに、一筋の川があったとする。その川岸をいろいろな人が、おとずれてくる。ある人は、「これは流れもそう速くなくて、よい川だ。この付近に工場を建てたら、舟便が使えて、ずいぶん便利だろう」と考える。この人は実業家であり、この川を、営利的に見ているわけである。
べつの人は、川岸に立って、あたりの景色をながめ、「ああ、いい景色だ。あのあたりの水の色がすばらしい」という。この人は画家であって、この川を美的に見ているのである。
もう一人の人は、しばらく川岸にたたずんでいたが、やがてしゃがんで、手の先を水に浸してみる。そして子供のころ裏の小川で遊んだことをおもい出す。「もうあの川にも、えびはいなくなっただろうな」と心の中でひとりごとをいう。この人は詩人であり、この川を詩的に見ているわけである。