蟲干
本文約6,900字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
毎年行われる蟲干しの日、かつての家族の衣裳や古い蔵書に囲まれる中で、著者は明治初年頃の書物や錦絵を手にする。それらの資料が語る当時の人情や時代風俗、そして江戸芸術が維新後に返り咲いた様相を辿りながら、自身の記憶や両親の若き時代を回想する。さらに、漢文の変妙な文体や黙阿弥の劇作などを通じて、時代とともに変遷する文化や人間の生理的な変化について、自身の感懐を綴る隨筆。
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毎年一度の蟲干の日ほど、なつかしいものはない。
家中で一番広い客座敷の椽先には、亡った人達の小袖や、年寄った母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、そのかげになって薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。
色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様なぞは、鋭い樟脳の匂いと共に、自分に取っては年毎にいよいよなつかしく、過ぎ去った時代の風俗と流行とを語って聞せる。古い蔵書のさまざまな種類は、その折々の自分の趣味思想によって、自分の家にもこんな面白いものがあったのかと、忘れている自分の眼を驚かす。
近頃になって父が頻と買込まれた支那や朝鮮の珍本は、自分の趣味智識とは余りに懸隔が烈し過ぎる。古い英語の経済学や万国史はさして珍しくもない。今年の蟲干の昼過ぎ、一番自分の眼を驚かし喜ばしたものは、明治の初年頃に出版された草双紙や錦絵やまたは漢文体の雑書であった。
それ等は悉く自分がこの世に生れ落ちた当時の人情世態を語る尊い記録である。自分がまだ文字を知らない以前、記憶という能力のまだ充分に発育しない以前、自分の周囲の世界が、今では疾うに死んでしまった古老の口を通して、自分に囁き聞かした一切の事件や逸話は、一度びそれ等の書籍や絵画を見るにつけて、突如として遠い遠い記憶の中に呼び返される。自分は己れの身の上ばかりではない。自分を生んだ頃の父と母との若い華やかな時代はどんなであったかと云う事をも、ありありと眼に浮べる。丁度苔と落葉と土塊とに埋れてしまった古い碑文の面を、恐る恐る洗い清めながら、磨滅した文字の一ツ一ツを捜り出して行くような心持で、自分は先ず第一に、「東京新繁昌記」と云う漢文体の書籍を拾い読みした。