半七捕物帳
本文約15,800字 ・ 読了時間 約32分
あらすじ(AIが作成しました)
芝の裏店に住むおまきという婆は、大勢の猫を溺愛し周囲から猫婆と忌み嫌われる。孝行息子の七之助は母を大切に暮らしていたが、周囲の反感や家主からの強制退去命令により窮地に立たされる。ある日、おまきは頓死し、その不可解な死の背景には、七之助とお初が目撃した「猫の顔をした母」という怪異が潜んでいた。岡本綺堂の捕物帳は、人間の憎しみと怪異が交錯する中で、親孝行な息子がたどる悲劇的な運命を描く。
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一
半七老人の家には小さい三毛猫が飼ってあった。二月のあたたかい日に、私がぶらりと訪ねてゆくと、老人は南向きの濡縁に出て、自分の膝の上にうずくまっている小さい動物の柔らかそうな背をなでていた。
「可愛らしい猫ですね」
「まだ子供ですから」と、老人は笑っていた。「鼠を捕る知恵もまだ出ないんです」
明るい白昼の日が隣りの屋根の古い瓦を照らして、どこやらで猫のいがみ合う声がやかましく聞えた。老人は声のする方をみあげて笑った。
「こいつも今にああなって、猫の恋とかいう名を付けられて、あなた方の発句の種になるんですよ。猫もまあこの位の小さいうちが一番可愛いんですね。これが化けそうに大きくなると、もう可愛いどころか、憎らしいのを通り越して何だか薄気味が悪くなりますよ。むかしから猫が化けるということをよく云いますが、ありゃあほんとうでしょうか」
「さあ、化け猫の話は昔からたくさんありますが、嘘かほんとうか、よく判りませんね」と、わたしはあいまいな返事をして置いた。相手が半七老人であるから、どんな生きた証拠をもっていないとも限らない。迂濶にそれを否認して、飛んだ揚げ足を取られるのも口惜しいと思ったからであった。
しかし老人もさすがに猫の化けたという実例を知っていないらしかった。彼は三毛猫を膝からおろしながら云った。
「そうでしょうね。昔からいろいろの話は伝わっていますが、誰もほんとうに見たという者はないんでしょうね。けれども、わたしはたった一度、変なことに出っくわしましたよ。なに、これもわたしが直接に見たという訳じゃないんですけれど、どうも嘘じゃないらしいんです。なにしろ其の猫騒動のために人間が二人死んだんですからね。考えてみると、恐ろしいこってす」
「猫に啖い殺されたのですか」
「いや、啖い殺されたというわけでもないんです。それが実に変なお話でね、まあ、聴いてください」
いつまでも膝にからみ付いている小猫を追いやりながら、老人はしずかに話し出した。