虎
本文約8,300字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
嘉永四年の江戸。両国で興行を営む友蔵と幸吉の兄弟は、見せ物にする新しい出し物を常に模索していた。鮫洲の海岸に流れ着いた鯨を巡り、他の興行師である由兵衛と対立する。その後、兄弟は下総で入手した巨大な猫を虎と偽って興行を打ち、人気を博す。しかし、偽りの宣伝が引き金となり、女房の不慮の死や将軍御上覧を騙ったことによる役人の取り調べを経て、興行師たちは数奇な運命を辿ることになる。一匹の猫が招いた騒動の行方を描く。
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上
「去年は牛のお話をうかがいましたが、ことしの暮は虎のお話をうかがいに出ました。」と、青年は言う。
「そう、そう。去年の暮には牛の話をしたことがある。」と、老人はうなずく。「一年は早いものだ。そこで今年の暮は虎の話……。なるほど来年は寅年というわけで、相変らず干支にちなんだ話を聴かせろというのか。いつも言うようだが、若い人は案外に古いね。しかしまあ折角だから、その干支にちなんだところを何か話す事にしようか。」
「どうぞ願います。この前の牛のように、なるべく江戸時代の話を……。」
「そうなると、ちっとむずかしい。」と、老人は顔をしかめる。「これが明治時代ならば、浅草の花屋敷にも虎はいる。だが、江戸時代となると、虎の姿はどこにも見付からない。有名な岸駒の虎だって画で見るばかりだ。芝居には国姓爺の虎狩もあるが、これも縫いぐるみをかぶった人間で、ほん物の虎とは縁が遠い。そんなわけだから、世界を江戸に取って虎の話をしろというのは、俗にいう『無いもの喰おう』のたぐいで、まことに無理な注文だ。」
「しかしあなたは物識りですから、何かめずらしいお話がありそうなもんですね。」
「おだてちゃあいけない。いくら物識りでも種のない手妻は使えない。だが、こうなると知らないというのも残念だ。若い人のおだてに乗って、まずこんな話でもするかな。」
「ぜひ聴かせてください。」と、青年は手帳を出し始める。
「どうも気が早いな。では、早速に本文に取りかかる事にしよう。」と、老人も話し始める。
「これは嘉永四年の話だと思ってもらいたい。君たちも知っているだろうが、江戸時代には観世物がひどく流行った。東西の両国、浅草の奥山をはじめとして、神社仏閣の境内や、祭礼、縁日の場所には、必ず何かの観世物が出る。もちろん今日の言葉でいえばインチキの代物が多いのだが、だまされると知りつつ覗きに行く者がある。その仲間に友蔵、幸吉という兄弟があった。二人はいつも組合って、両国の広小路、すなわち西両国に観世物小屋を出していた。