変な音
本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
病院に入院した語り手は、隣の部屋から聞こえる山葵おろしのような妙な音に神経を悩ませる。退院後、再び同じ病院に入院した語り手は、当時の隣室にいた患者が直腸癌で亡くなっていたことを知る。時を経て看護婦と再会した語り手は、あの音の正体が患者の熱を冷ますための胡瓜を擦る音であったと教えられる。本作は、病院という閉鎖空間で遭遇した不可思議な音を巡る記憶と、その裏にあった患者の最期と運命の対比を描く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
上
うとうとしたと思ううちに眼が覚めた。すると、隣の室で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然した見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏まった観念ができてきた。何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。
いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分何しに大根おろしを拵えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡で覚ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。
自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜に訴える限り、妙に神経に祟って、どうしても忘れる訳に行かなかった。あたりは森として静かである。この棟に不自由な身を託した患者は申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異な響だけが気になった。