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TORENDIA

四条畷の戦

本文約8,400字 ・ 読了時間 約17分

あらすじ(AIが作成しました)

建武中興の崩壊に伴う武家と公卿の対立を背景に、楠正行の四条畷の戦いまでの事績と精神を描く。亡父・正成の遺訓を胸に南朝のために奔走する正行の青年武将としての姿や、足利尊氏を頂点とする新政権との避けられぬ衝突を歴史的視点から辿る。武士たちの恩賞への不満や新政府内の軋轢が深まる中、正行が最期まで義を貫こうとする決意と、その高潔な生き様を浮き彫りにし、父子二代にわたる純粋な忠勤の精神がいかに後世まで強い感銘を与え続けるかを論じる。

菊池寛

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建武中興の崩壊

中島商相が、足利尊氏のために、災禍を獲た。尊氏の如く朝敵となったものは、古来外にも沢山ある。朝敵とならないまでも、徳川家康以下の将軍などは、それに近いものである。殊に温厚そうに見える二代将軍秀忠の如き、朝廷に対して、悪逆を極めている。

だが、尊氏丈が、どうして百世の下、なお憎まれ者になっているか。それは、純忠無比な楠公父子を向うに廻したからである。尤も、中島商相を弾劾した菊池中将(九州の菊池神社を中心として、菊池同族会なるものあり、中将はその会長である。自分もその会員である)の先祖たる菊池氏も亦、五百年間勤王一途の忠勤をつくした家柄で、山陽をして「翠楠必ずしも黄花に勝らず」と云わしめたが、活躍の舞台が、近畿でないから、楠公父子の赫々たる事蹟には及ばない。今、四条畷の戦いを説くには、どうしても建武中興が、如何にして崩壊したかを説かねばならない。

元弘三年六月五日、後醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和長年以下の凱旋諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏から、東寺の門まで絡繹として続いたとある。供奉の武将達も、或は河内に、或は伯耆に、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳であるから、此の日の主上及び諸将の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。

かくて建武中興の眼目なる天皇親政の理想は、実現されたのである。だがそれと同時に、早くも此の新政府の要人連の間に、逆境時代には見られなかった内部的対立が兆していた。つまり武家と公卿が各々、自分こそ此の大業の事実上の功労者であると、銘々勝手に考え出して来た為である。

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