本文へ移動
TORENDIA

菜の花

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

急速な都市化により郊外の自然や空地が失われる現状を憂い、土の香りや春の風景を象徴する菜の花への愛着と、それが姿を消していくことへの哀愁を綴る。著者は、都市の無機質な家並みの中で、人間同士の心理的余裕を生み出す空間として畠を捉える。少年時代からの記憶や文学に刻まれた風景を回想しつつ、かつて各地を彩った黄金色の花々が経済的な理由で減少し、今や希少な存在となった現実を嘆く。日常の中に失われゆく自然の記憶を留めたいという願いを込めた随筆である。

小島烏水

速度
🎧 菜の花 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 3

市街に住まっているものの不平は、郊外がドシドシ潰されて、人家や製造場などが建つことである、建つのは構わぬが、ユトリだとか、懐ろぎだとかいう気分が、亡くなって、堪まらないほど窮屈になる、たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、もし人家の傍に、一寸した畠でもあれば、それが如何に些細なものであっても、何だか緩和されるような気になる、そうして庭園のように、他所行きの花卉だの、「見てくれ」の装飾だのがしてないところに、又しようとも思わない無造作のところに、思いさま両手を伸ばして欠びでもするような気持になれる。

少なくとも、市街は接近した、もしくは市街を前景とした畠は、野菜を作って、食膳に供給するという実用的の意味に於てよりも、人間と人間との間に踏み固められない、柔かい黒い土を割り込ませて、庇の連続や、肱の突き合いを緩和させるという点だけで、保存して置きたく思う、そういう意味で、保存するとなれば、何も月末の八百屋の払いを、幾分か助けるつもりで、胡瓜や茄子を作る必要はない、黒土のままで残して置いて、春の温気が土のかおりを蒸し上げるのを、ぼんやり眺めていてもいいのであるが、それではあまりサッパリし過ぎるから、春ならば先ず私は、何を置いても、そこに菜の花を観たい。

小島烏水の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本