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TORENDIA

紀行文家の群れ

本文約4,500字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

明治期の文壇で、紀行文家として知られた田山花袋と、著者との交流を中心に回想する。自然主義以前の情緒的な紀行文を手掛けた花袋への評価を綴り、文通を通じての山岳趣味をめぐる交流や、後の自然主義文学興隆による文壇内の対立、花袋の奥多摩開発への貢献について記す。著者が登山姿を描かせた肖像画の経緯など、花袋の知られざる功績と足跡をたどる一文。

小島烏水

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🎧 紀行文家の群れ / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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明治文壇には、紀行文家と称せられる一群の顔ぶれがあった。根岸派では、饗庭篁村が先達で、八文字舎風の軽妙洒脱な紀行文を書き『東京朝日』の続きものとして明日を楽しませた。幸田露伴にも『枕頭山水』の名作があり、キビキビした筆致で、自然でも、人間でも、片っぱしからきめつけるような犀利な文章を書いている。しかしこのご両人は、あまりに老大家であって、「一群」からは、かけ離れていた。一群の人たちは、遅塚麗水、大町桂月、江見水蔭、田山花袋、久保天随、坪谷水哉などであるが、花袋が紀行文家と言われた時分は、自然派文学勃興以前のことで、文章に感傷癖はあったが、淡泊清新、ことに武蔵野あたりの原野や雑木林の寂しさを、淡彩的に点描するのに巧みであった。武蔵野といえば、ただちに独歩の名作が連想されるが、花袋も紀行文家として「野の人」であった、武蔵野の人であった。私はなんのかのと、不足は言いながらも、しんみりと落ち着いた心持ちで、花袋が読めた。自然派勃興以後の花袋自身は、おそらく「こんなもの」と言うかもしれないが、私のすきな花袋は、やはり情緒綿々たる紀行文家の花袋である。

しかし直接に文通したのは、少しく金の入用があったので、白峰の紀行文を、花袋を通じて『太陽』に寄せたときが初めてであった。おかげで明治三十七年二月の『太陽』に掲載せられたのはいいが、どうしたものか、博文館から原稿料を送ってよこさない。「武士は食わねど高楊子」主義で突っぱった当時の青年文士は、いいかげんシビレを切らしても、原稿料の催促はしたくなかった。しかるにその年の秋も過ぎて、いよいよ手元切迫に及んだので、からめ手から催促するような手紙をやった。すると花袋からすぐ返事が来た。

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