時
本文約810字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
二十年ぶりに再会した旧友は、時の経過を穏やかに受け入れた面影を宿していた。本作は、人の容姿や人生を容赦なく変容させる「時」が持つ残酷さと、その一方で人それぞれに異なる神秘的な流れを考察する。自身の家族の老いや、文学作品に描かれる父と子の断絶、そして目の前の友人が歩んできた平穏な人生を対比させながら、人間が抗うことのできない時の経過と、その巡り合わせがもたらす複雑な感情や不思議な魅力を多角的に綴る随筆である。
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郷里の方の学校友達から、ふと二三度の便りがあつてから、しばらくして彼の女の息子を東京の学校へ入学させる用事をかねて、私をまで訪ねてくれた。
二十年近くも会はなかつたが、瞬時私は若いころの面影を素直に年をとらせた友達を見て意外なほどであつた。若し自然の年齢といふものがあるなら、彼の女の若い日のおもかげにそのまま徐かに年齢の影を宿してゐるやうな、その穏やかな変化を指していつてるものと思つていいであらう。彼の女には時に虐げられたり、抗らつたあとが見えないのだつた。
「まあ、お変りにならないこと」私は話の序でにいつてみせたが、意味はその変りかたの良さであつた。
「時」の各人に及ぼす種々の相違が、このせつふと心に触れて来る。運命といつてみたり機会といつてみたり、偶然といつてみたり、およそ意表に出る「時」の持つ魅力――不安でも、好奇でも、驚異でもあるものが、人間生活の中にこと新らしく思はれて来たりする。
私の父が急にげつそり老けたといはれる時があつた。母にもあつた。そんな時暮らしの上に非常な打撃があつたことは、当時の若い私の心にも察しられたのだが、さて本当に自分にもその種の打撃が来なかつたとしたら、親たちの真味のことも知らずに了つたに違ひない。気持の喰ひ違ひとか、理解の齟齬とか、感受性の遅速とかにも多少「時」のもつ戯れが考へ合されるとすれば人間はそれぞれの通過する道程に神秘感を持合せずにはゐられないのが当然であらう。「父と子」のバザロフといふ息子の立場も、彼れの思想的や、独在的な面白さよりも父と子を距てる「時」の激しい特殊な流れの方に、このごろ私は余計眼を向けて考へさせられるやうになつてゐる。
それはさて、あの学友の上に見た穏やかな年齢のとりかたには、近頃特に心を搏たれた。ともすれば反し、逆らひ、愕ろかす時の悪戯性から見れば、それはまことに稀れに見る、やさしい「時」の慈母に守られてきた姿ではなかつたらうか。
完