燕枝芸談
本文約8,500字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
法衣商の家に生まれた著者は、家計の支えや自立の道を模索する中で噺家を志す。貧困と苦難の修業時代を経て真打となり、芸の探求に生涯を捧げた。本作は、名人燕車の芸に触れ、芸の修業は一生のものであるという信念のもと、自身の経験を綴る。高座で無欲になることの重要性や、時代とともに変化した噺家の修業環境や席亭の見識を回想し、真の芸の在り方を論じる。寄席からの引退を機に、自身の芸の歴史と江戸から明治への移り変わりを描く。
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本年三月十一日、私は寄席を引退するといふことを日本橋倶楽部で披露いたしました。その事は既に新聞でも御承知の通りでありますが、抑々私が噺家にならうといふ心持を持つたのはどういふ動機からであるか、先づそれからお話を初めたいと思ひます。
どだい私は芸人の家に生れたものでは無く親は三縁山増上寺の法衣の御用を足して居りまして、代々芝の仲門前に住んでをりました。ところが父の代に、親の恥を言ふのではありませんが、相場に引つかかりまして住み慣れた仲門前を私が三つの時に引払ひ、暫く浅草の方に住むことになりました。今の菊屋橋、南杉山町といふところでして、矢張り其処で法衣商をやつて居りました。私が十八の時に又二度目の相場の失敗で三筋町の方へ転居する事になりました。私は徴兵検査も済み、体格は甲の合格でありましたが、抽籤でまあ段々と国民軍へ編入される様な具合になつて了ひました。で、その当時身を立てることを考へたのですが、どうも商人になるには昔と違つて相当資本がなければ出来ませんし、官途に奉職するにしたつて矢張り相当の学校を出て居なければ用ひられもしない、人間此の世に生れて来てどうも余り名前も知られないで死んでしまふといふ事はつまらない話です。何か金もなく、学問もなくて、どうかまあ人にダースの人間でなく扱はれるものがなからうかと考へた末、役者にならうかと思ひましたが、役者も門閥と言ふ昔からの壁がある。今以てその門閥なるものが厳として残つてゐるのですから、急に出世も出来ないことは解りきつてゐます。では講釈師はどうだらう、処がこれが、考へて見ると木の枕でごろ/\転つて聞いてゐると言ふ様な人が多い。最後に、では一つ噺家になつて見やう、さうしたら何とか人にも知られる様な人間になれるだらうと考へ、その決心をしました。
扨てこれからが修業のお噺です。我々の若い時分は、遊ぶことでも何でも総て無駄にはせず出世をし度い/\といふ頭でやつて居ましたから、決して物に溺れるといふ事をしませんでした。例へば酒を飲むにしても一人では呑まない、附合ひで呑む、之れも世に出度いといふ一つの策略から呑むのだといふ頭を持つて居ました。