TRENDIA CLASSIC

感想

岸田國士

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最近は芝居も映画もあまり見ない。東京をはなれて暮してゐる期間が長いためでもあるが、たまに東京へ出ても、わざわざ切符を買つて観に行く気がしないのである。自分の仕事に直接関係があるのだから、勉強のつもりで新しい芝居ぐらゐはのぞいておくべきだと思ふのだけれども、ついおつくうになつてしまふ。不心得だと云はれゝば一言もないが、それでも、私にしてみると、今のところ、脚本を読みさへしたら、上演の結果はだいたい想像がつくし、第一、劇場といふものが従来以上に私を誘惑しにくゝなつたといふ理由をあげなければならぬ。

これには別にむづかしい理由なぞはない。元来、私は芝居や映画を見て楽しむといふ趣味はあまりなく、私にとつて、戯曲を書くことの目的と意味とは、まつたく違つたところにあるらしいのである。かういふと不思議に思ふひとがあるかもしれぬが、それはうそでもなんでもない。そのうへ私は、自分の作品が上演されてゐても、そんなに見に行きたいとも思はず、見ればたいがいうんざりするのである。上演の結果が気に入らぬといふよりは、自分の作品そのものが、どうも場違ひのやうにみえ、役者や見物に申しわけないといふ気がしてしかたがない。

私は芝居の社会といふものが、自分の性に合はぬのではないかと、時々、考へることがある。それなら芝居以外の社会なら性に合ふのかと開き直られては困るが、それも前に云ふとほり、いつたいに芝居の社会といふものは特に私のやうな人間を住はせてくれる余地がないやうにも思へるのである。その証拠に、私は、劇場の空気をあまり好まない。楽屋に出入するのは必要止むを得ぬ時であり、幕間の廊下は殆どつねに私をいらだたせる。さらに、「芝居の玄人」が芝居の話をしてゐるのを聞くほど私には縁遠い感じがすることはないくらゐである。

私はなるべく一般に通じない「芝居用語」を使はないやうにしてゐる。むしろ、使はうとしても使へないのかも知れない。「かみて、しもて」といふ慣用語さへ、私は自然に使つたことがない。

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