柿の種
本文約69,500字 ・ 読了時間 約140分
あらすじ(AIが作成しました)
俳句雑誌『渋柿』の巻頭に、大正九年から昭和十年まで連載された即興的な随筆を綴る。著者は友人と交代で執筆し、日常生活の些事に対する思索や感傷、科学者としての視点から捉えた世相や自然現象、そして幼少期の記憶などを記録する。気楽に書き流された短文の数々を年月順に並べることで、一人の人間を通して見た現代の推移が浮かび上がる構成となっており、心の余裕がある時に一節ずつ読むことが推奨される随筆集である。
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自序
大正九年ごろから、友人松根東洋城の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一ページに、「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。中ごろから小宮豊隆が仲間入りをして、大正十四、五年ごろは豊隆がもっぱらこの欄を受け持った。昭和二年からは、豊隆と自分とがひと月代わりに書くことになった。昭和六年からは「曙町より」という見出しで、豊隆の「仙台より」と、やはりだいたいひと月代わりに書いて来た。それがだんだんに蓄積してかなりの分量になった。
今度、もと岩波書店でおなじみの小山二郎君が、新たに出版業をはじめるというので、この機会にこれらの短文を集めて小冊子を、同君の店から上梓するようにしないかとすすめられた。
元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、きわめて気楽に気ままに書き流したものである。原稿の締め切りに迫った催促のはがきを受け取ってから、全く不用意に机の前へすわって、それから大急ぎで何か書く種を捜すというような場合も多かった。雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や豊隆に読ませるつもりで書いたものに過ぎない。従って、身辺の些事に関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。しかし、これだけ集めてみて、そうしてそれを、そういう一つの全体として客観して見ると、その間に一人の人間を通して見た現代世相の推移の反映のようなものも見られるようである。そういう意味で読んでもらえるものならば、これを上梓するのも全く無用ではあるまいと思った次第である。
これらの短文の中のあるものは、その後に自分の書いた「他処行き」の随筆中に、少しばかりちがった着物をきて現われているのもある。しかし、重複を避けるためにこれを取り除くとすると、この集の内容の自然な推移の連鎖を勝手に中断することになって、従って一つの忠実な記録としてのこの集の意味を成さぬことになるから、やはり、そういうのもかまわず残らず採録して、実際の年月順に並べることにした。