詩集『花電車』序
本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
詩集『花電車』を読んだ体験と、著者である北川冬彦の詩世界について綴る。作者は本書を読み涙した記憶を紐解きつつ、かつて疎開先の古本屋で見つけたアンリ・ルッソオの画集と重ね合わせ、現実と観念が交錯する世界観に触れる。戦禍の記憶や平和への希求が込められた詩の数々を紹介しながら、著者が見出す「平和郷」の姿と、言葉によって読者を架空の電車へと誘う詩人の手腕について論じる。
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今まで、私は詩集を読んでゐて、涙が流れたといふことはない。しかし、稀らしい。私はこの「花電車」を読みながら涙が頬を伝って流れて来た。極暑の午後で、雨もなく微風もない。ひいやりと流れて来たのはひと条の涙だけ――ああこれは、おれの涙かなと私は思ひ、詩人の貌をしばらく遠空に描いてゐた。私はこの風顔が好きである。
私は戦争中一番愉しく眺めたのは、アンリ・ルッソオの絵だった。それも汚ならしく皺のよった、たった一枚の版画で、押入れの埃の底から出て来たものだ。私はぽんぽんと埃を払ひ、こんなところにこんな絵が、と、両手に支へ、証書を読むやうに眺めたり、壁へ両手で張りつけて、首を後ろへ引きつけて眺めたり、――私はアンリ・ルッソオの絵の広告を今ごろこゝでする用もないが、この花電車の中にはルッソオも伴に乗ってゐるからだ。
終戦になる一、二ヶ月前の時、私は焼野原になった東京から、東北地方の鶴岡といふ街へ家族を訪ねに出かけてみた。ところが、ここがそろそろ空襲に見舞はれ出し、街は疎開騒ぎでごった返しの最中だった。どの家からも荷を積み上げた荷車が街を離れて四方へ散った。ある日の午後、私は古本屋へ入り、残り少くなった屑本類を引っくり返して見てゐると、底から一冊ぼけた絵本が出て来た。見ると、これがまたアンリ・ルッソオの画集であった。私はここでも埃を払ひ、懐へ押し込んで家へ戻り、一日その絵を眺め暮した愉しさを忘れない。七月の空はよく晴れてゐて、枝に透いた杏の実の丸い黄色が、私は、このときほど果実のまるい美しさを見たことがない。そこへ、B29[#「29」は縦中横]の銀色の羽根がナイフのようにやって来た。膝の上に展いてみてゐたルッソオの絵は、空の杏の実に戯れる鳥のやうな童心に溢れてゐる。まったく、かうして――現実をぱったり停めて見ると、眼にするものすべて尽く絵か観念かのどちらかだった。鳥飛んで鳥に似たりであった。
子は
絵本に
電車を見つけると
その上に乗って
足をバタバタさせるのだ(花電車と子)