歌声よ、おこれ
本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
日本の再出発を機に、戦争で抑圧された文学の現状を検証する。戦時中、作家たちは権力の監視下で自己の文学的基盤を見失い、大衆の苦難と遊離した。明治以来の非社会的な伝統を脱却し、作家が自らの経験を歴史的教訓として自覚することが必要である。本作は、新たな文学の母胎である民衆生活と結びつき、人間としての尊厳を回復し、未来に向けた民主的な合唱としての文学を創造すべきことを論じる。
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今日、日本は全面的な再出発の時機に到達している。軍事的だった日本から文化の国日本へということもいわれ、日本の民主主義は、明治以来、はじめて私たちの日常生活の中に浸透すべき性質のものとしてたち現れてきた。
民主という言葉はあらゆる面に響いており、「新しい」、という字を戴いた雑誌その他の出版物は、紙の払底や印刷工程の困難をかきわけつつ、雑踏してその発刊をいそいでいる。
しかし、奇妙なことに、そういう一面の活況にもかかわらず、真の日本文化の高揚力というものが、若々しいよろこびに満ちた潮鳴りとして、私たちの実感の上に湧きたち、押しよせてこないようなところがある。これも偽りない事実ではないだろうか。
この感じは、新しく日本がおかれた世界の道にたいする懐疑から生じているものでないことは明かである。われわれ人民が、理不尽な暴力で導きこまれた肉体と精神との殺戮が、旧支配力の敗退によって終りを告げ、ようやく自分たち人間としての意識をとりもどし、やっとわが声でものをいうことができる世の中になったことをよろこばない者がどこにあろう。日本は敗戦という一つの歴史の門をくぐって、よりひろく新しい世界人類への道を踏み出したのである。
そういうことは、すべての人によくわかっている。そして、一人一人、もうすでに、外的な事情に押されながらにしろ、そういう方向に爪先をむけて進んでいる。しかも、歩きだしつつあるそれらの瞳のうちに、なにか自身を把握しきっていない一種の光りが見られるのは、なぜだろうか。