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TORENDIA

“健全性”の難しさ

本文約650字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

十一月の歌舞伎座で観劇した体験をもとに、演劇における自粛や管理と芸術の生命力のあり方を論じる。現代の生活感情から乖離した空虚な演目や、教訓的でありながら働く人々の生活を軽視するラジオ落語を取り上げ、特定の観念を押し付けるだけでは健全な芸術は成立しないと指摘する。本質的な健全性とは何かを問い、多様な努力と辛苦を経て文化の質を高めていく重要性を説く。

宮本百合子

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🎧 “健全性”の難しさ / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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この間田舎へかえる親戚のもののお伴をして珍しく歌舞伎座を観た。十一月のことで、序幕に敵国降伏、大詰に笠沙高千穂を据えた番組であった。

この芝居をみていて深く感じたことは演劇のとりしまりや自粛がどんなに芸術の生命を活かすものでなければならないか、ということであった。

云わでものことのようなことを沁々と思わずにいられないものがあった。従来の歌舞伎の番組には徳川末期的の世情を映したものもあり、現代の生活感情に遠いものがあったのは事実だけれど、十一月の新作ものの序幕や大詰では初めから演劇というものの独特な表現を思いあてたような空虚さがあった。

種々の条件が加わっても、やはりそこはそことして何か訴える演劇をもとうと試みる情熱がなかった。しかもそんな芝居でも、見物は満員である。俳優たちは、何となしそんな関係におかれている自分の舞台にうすら寒いものを感じているだろうとも思われた。

健全な演劇というものは、特定の観念をテーマとした台本を上演するということだけで決して解決しない。わかり切っているこんなことが、しかし、案外の困難にぶつかっているのではないかしら。

ラジオなどできく落語が、近頃は妙なものになって教訓落語だが、話の筋は結局ききてである働く人々の生活や文化の低さを莫迦らしく漫画化したようなものが多くていい心持はしない。実質的にはちっとも健全と云えないのである。

健全性というものへの理解は、あらゆる方面からの努力でこれから様々の辛苦を経て練られ高められて行かなければならないものだと思う。〔一九四〇年十二月〕

完

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