譲原昌子さんについて
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
三月十五日、無名戦士の墓への合葬が発表された譲原昌子。NHKでの対談で出会った著者は、病をおして民主的文学について熱く語った彼女の姿を想起する。本書は、譲原の遺稿である「朝鮮やき」の魅力や、過酷な状況下でも失われなかった彼女の解放への欲望と生きることへの強い要求を綴る随筆である。プロレタリア文学運動の仲間たちを重ね合わせ、彼女が残した作品への深い感銘と、ひとりの人間としての記憶を心に刻み込んでいく様子を描く。
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三月十五日に発行された文学新聞に、無名戦士の墓へ合葬された人々の氏名が発表されていた。そのなかに、譲原昌子という名をみたとき、わたしははげしいショックをうけた。今年の一月十二日に亡くなられたと書いてある。一人の家族もなくて、遺骨の処置が新日本文学会に相談されたと書いてある。譲原さんが死んだ。わたしが深いショックを感じたのは、去年の一月、二人でNHKから民主的文学について対談を放送したことがあったからであった。それから去年の夏、わたしが身体をわるくして東京にいられなかった間に、譲原さんから手紙がきていて、その返事をうちの人が出しておいてくれた。そういうことがあったからだった。譲原さんというと、わたしにはNHKで会ったとき、あの人の着ていた紫っぽいちりめんの羽織を想い出す。それから録音にとりかかる前、二人で話しあっていたあいだに、びっしょり汗をかいた譲原さんを想い出す。その時、譲原さんがどんなに身体がわるいかということは誰も知らなかった。あんまり譲原さんが汗をかくので、わたしもその時の担当者であった江上さんも心配になって、いきなりではあんまり無理らしいからと、四、五日さきに録音をのばした。わたしたちは皆単に、譲原さんはひどく疲れている上に馴れない、放送局のなかは不自然に暖かいからそれでそんなに汗がでるのだろうと思っていた。わたしも羽織をぬぐほどその狭くるしい放送室は、あつくて息苦しかったから。二人で往来へ出て、田村町の停留場のところでちょっと立ち話した。譲原さんは、やっと汗のおさまった顔をして、今度は放送の日までに一遍わたしのところへ来て、打合せをしておこうという話になった。