夜叉のなげき
本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
作家・舟橋聖一が雑誌で宮本百合子のヒューマニズム論を批判的に引用したことを受け、著者が自らの見解を綴る。子供を愛する日常的な感情を肯定するだけでなく、社会の現実と結びつけて人間を解放するヒューマニズムのあり方を考察する。本書は、芸術家が現代の困難な社会状況の中で、愛や人間性の概念をどのように実践的に探求し、歴史的な視点を持って捉えるべきかを論じる評論である。
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『文学界』に告知板というところがある。毎号そこにいろいろな作家が短い自由な感想をのせているのであるが、九月号のその雑誌に「新胎」を書かれた舟橋聖一氏も、本月はこの欄に一文をよせておられる。
「新胎」を創作するに当って助力をよせた各方面の専門家の姓名を列挙し、感謝をささげておれる。つづいて自身の病気にふれ、子供さんの病気に心痛顛倒する自身の心持に語り及んでそこへ私の名がひきあわされているので、自然読むと、私が「子供を愛したりするとヒューマニズムの線が下向する」と云っているとのことが書かれてある。それに反対の心持として氏は「子供を愛することさえ出来なくて何のヒューマニズムぞやと云いたい。子供を愛することゝ、ヒューマニズムとが牴触することは、僕には考えられない」と書いておられるのである。
実際には私が何をどのように云っていたのかということから切りはなして、氏のこの文章ばかりを読むと、一応は全くあたりまえのようなことをことあらためて舟橋氏がとりあげておられることから、却って読者の疑問はよびさまされると思う。私という女は夜叉なのであろうか? 子供が可愛いという一般的な日常の感情さえ味うことの出来ない、何かの餓鬼なのであろうか?
舟橋氏は、私が先頃報知新聞に九月の創作についての感想をかいた中で、「新胎」のテーマが含んでいる歴史的な方向、氏によって嘗て提唱された能動精神のその後の消長等に対する疑義をこの作品の内部に見たことを念頭において、告知板の文章を書いておられるのである。
ある文学的雰囲気というようなものや、そこの中でののびのびとした気分というようなものから、氏が私の書いた文章をどのようによまれようとも、それは氏の自由であると思う。それはよまれるように読まれるしか仕方がない。ああこのようにも読まれるものかと、筆者は打ち見やる態度でいいのであろう。けれども、舟橋氏が告知板にかかれた文章そのものが、短い表現であるがそのものとして、私たちに一つの課題を呈出していると思う。その点をここで触れて見たい。