女性の不平とよろこび
本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
女性に課せられた人前での窮屈な行儀や不公平な束縛に対し、その解放を提唱する。生理的な差異や美的な観点を踏まえつつ、男と同様に自由な挙措を求める姿勢を示す。さらに、女性特有の行為である化粧について、個々の外見にかかわらずそれを愉しむことが女性のよろこびであると説き、不平を抱えずに自らの内面的な生命を健やかに保つことの重要性を綴る。
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女が、男より行儀をよくしなければならないということ。
人前で足を出してはいけない、欠伸をしてはいけない、思うことを云ってはいけない。
そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度いと思うことは沢山ある。疲れやすいこと欠伸をしたいことなどは、むしろ男より女の方がよけいかもしれない。それだのに、なぜ、昔から男は、食後でも人前でも勝手に足を出し欠伸をし、云い度いことも云えるのに、女にそれが許されないのだろう。
外側をためてばかりいると、内側の生命が萎縮してしまう。
男が伸々と拘束なしに内側の生命を伸す間に、女は有史以来圧えためられてそれを萎縮されてしまった。
生理的から観ても、女の肉体は男より支持力に堪えがたい、乳房の重み、腰部の豊満、腹部も男より複雑であります。
殊にこの特長の発達している私には食後の大儀なこと、客人の前の長時間などは、つくづくこの女子にのみ課せられた窮屈な風習に懲りて居ます。
この頃ではこの議を随分自分から提唱して、乱れぬ程度でこの女のみに強いられた苛酷な起居から解放されて居るには居ます。思い出しました。四五年前の与謝野家の歌会の時、その座のクインであった晶子夫人が、着座しばらくにして、上躯を左方に退き膝を曲げてその下から一脚を曲げて右方へ出されました。夫人特有の真白い素足が、夫人の濃紫の裾から悠々と現われました。
夫人は、これだけのムードを事もなげな経過ぶりで満座のなかに行われたのであります。そして石井柏亭と平気で談笑して居られました。
達手で自由で宜い、と私は傍で思いました。いかにも文明国の、そして自由な新時代の女性としての公平なポーズ(姿態)だと思いました。
ただ、女は何と云っても、男より、外観美を保たなくてはいけない、これは理屈より審美的立場から云うのです。で、如何に、挙措を解放するにしても、常に或程度の収攬を、おのずから自分の上に忘れてはいけません。
美的な放恣、つつましやかな自由、それはどうあるべきかと追求されてもこまるけれど、とにかく以上の字義どおり何れの女性も心術として欲しい、結果はおのずから達成せられるでありましょう。