本文へ移動
TORENDIA

茸の香

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

上醍醐の山坊で松茸の吸物を食す筆者が、その芳醇な山の香りに触れつつ現代人の食生活を省みる随筆。日々の忙しさに追われ、物を味わう余裕を失い、感覚が麻痺しつつある現状に警鐘を鳴らす。自然の繊細な風味に舌鼓を打つ機会が減る中で、感覚の鋭敏さを保つ重要性を綴る。

薄田泣菫

速度
🎧 茸の香 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

私は今上醍醐の山坊で、非時の饗応をうけてゐる。

坊は谿間の崖に臨むで建てかけた新建で、崖の中程からによつきりと起きあがつて、欄干の前でぱつと両手を拡げたやうな楓の古木がある。こんもりとした其の枝を通して、段々下りの谿底に、蹲踞むだやうな寺の建物が見え、其の屋根を見渡しに、ずつと向うの山根に小ぽけな田舎家が零れたやうに散ばつてゐて、那様土地にも人が住むでゐるのかと思はしめる。

吸物の蓋を取ると走りの松蕈で、芳ばしい匂がぷんと鼻に応へる。給持の役僧は『如何だ』といつた風に眼で笑つて、然して恁う言つた。

「折角の御越やさかい、山中捜しましたが唯一本ほか見附りまへなんので、甚い鈍な事とす」

楓の枝に松潜りに似た小さな鳥が飛んで来て、そそくさと樹肌を喙いてゐたが、夫も飽いたといつた風に、ひよいと此方向に向き直つて、珍らしさうにきよろづきながら唖のやうに黙りこくつてゐる。

茸を噛むと秋の香が齦に沁むやうな気持がする。味覚の発達した今の人の物を喰べるのは、其の持前の味以外に色を食べ香気を食べまた趣致を食べるので、早い談話が蔓茘枝を嗜くといふ人はあくどい其色をも食べるので。海鼠を好むといふ人は、俗離れのした其の趣をも食べるのである。香気にしてからが然うで、石花菜を食べるのは、海の匂を味はひ、香魚を食べるのは淡水の匂を味はふので、今恁うして茸を食べるのは、軈てまた山の匂を味はふのである。山も此頃のは、下湿りのした冷たい土の香である。

薄田泣菫の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本